幻の巨大魚「アオウオ」を求めて
幻の巨大魚「アオウオ」を求めて
2016年3月28日。
僕が初めてアオウオを釣り上げた日。
多くの人が、自分の子供、恋人の誕生日や、結婚記念日を覚えているように、僕はこの日を一生忘れないだろう。
これは、僕がアオウオ釣りを始め、初めて手にするまでの約二年間を追った記録である。
アオウオとは
この記事を読んで頂いている方には釣りや生物が好きな方が多いと思うので、ご存知の方も少なくないかもしれない。
アオウオは、ハクレン、コクレン、ソウギョとともに、「中国四大家魚」と呼ばれている魚の一つである。
どれも1mを超える大きさになる魚だが、アオウオはそのなかでも最大級。中国では2mオーバーの記録もある超ド級のモンスターだ。
日本には1940年代、戦時中の食糧問題解決策として多くの稚魚が持ち込まれたが、これは主にハクレンであったとされ、アオウオは意図的に持ち込まれた訳ではなくたまたま混ざって移入されたようだ。
その為、その比率は移入された全体数の1%にも満たないと言われており、釣りの対象としてはその希少性と堂々たる風格から「幻」とさえ言われているような魚なのである。
羽生市にあるさいたま水族館のアオウオ。小型のためまだほっそりとしているが、どこか古代魚のような印象を受ける。
アオウオとの出会い
そんな「幻」を釣ろうと、2014年のゴールデンウィーク、僕は友人らと江戸川に向かった。
同行者は僕の知人の中で唯一、アオウオを釣り上げている石井さん。それから大学を卒業したてのフレッシュマンであるにも関わらず、いきなりゴールデンウィークと有給を組み合わせて大型連休にしてしまう強者、五月女くんだ(ちなみにその時のアオウオ釣りの提案者も五月女くん)。
2人とも僕より5歳以上、五月女くんに至ってはひと回り以上も年下であるが、ともに他人と競合することなく、自分だけの魚を追う事ができる尊敬すべき友人である。
しかし、その日はアオウオどころか、何も釣れてはくれなかった。「幻」はそんなに甘くはないのだ。
話は逸れるが、僕は警備の仕事をしているため平日休みが多い。そのため、月に一度あるかないかの土日休みの時は、基本彼女といるようにしている。
好き放題、釣りに行かせてもらう上で、これはとても大事な戦略なのだ。
そんな訳で、五月女くんが就職先の大阪に帰ってしまうと、平日休みの多い僕は、石井さんとも休みが合わず、1人で江戸川へ通い続けることとなった。
そして、おそらく10回目くらいの釣行時だったように思う。出勤前にもかかわらず応援に来てくれた石井さんを見送った後、コンビニのパンをかじりながら川面を見ていた時の事だった。
遡上の始まったハクレンの群れの中に一つ、群を抜いてでかい影が見える。
「丸太か?」
最初はそう思った。
しかし次の瞬間、その「丸太」は背中を水面まで盛り上げ、尾ビレを揺らせてまた沈んでいったのだ。
え?今の魚?
これが僕とアオウオの最初の出会い。
衝撃的だった。否、今の時代、ネットにいくらでも画像はあるのだが、自分の眼で見るそれは衝撃的すぎたのだ。
決めた!絶対にオマエを釣り上げてやる!
僕の家は河川敷
石井さんに教わった釣り方は、産卵遡上中の個体を狙い撃つ方法だ。そのため、遡上の終わる初夏を過ぎると、あまり有効ではなくなる。いわゆる期間限定の必殺技なのだ。
初夏を過ぎ、遡上する魚も見えなくなってきた頃、僕は迷っていた。
どうしても釣りたい。でも、正攻法ではこんな広い川で「幻」とまで言われる魚なんて釣れる気がしないよ。どうしよう。
他にも釣りたい魚はあったし、アオウオを専門で狙えばかなりの長期戦になると思った。でも迷った末に、僕は簡易式のテントを購入した。
やっぱり釣りたい!いつ釣れるか分かんないけど、粘ってればそのうち釣れるでしょ!
正攻法で釣れるまで長期戦だ!
その日から、基本的に休みの前日は河川敷でテントに泊まり込みで釣りをする生活が始まった。
僕の愛すべきおんぼろテント。夏暑く、冬寒い。が、雨風さえ凌げれば充分。
1年目
僕の住む街、東京府中は多摩川にも程近い静かな街である。餌の貝は多摩川に出向き、カワニナを集めた。
しかし、カワニナはそう、ホタルの餌である。先人達の努力あってこそ現在多くの生物が暮らす多摩川。そこからホタルがいなくなってしまうとしたら、それはとても悲しい事だ。そう考えると、あまり大量に採る事はできない。
僕は、せいぜい小さめの洗面器一杯程のカワニナだけを持ってアオウオ釣りに励んでいた。採りに行く時間がない時は、タニシ粉末の入った鯉餌を使ったり、スーパーでシジミを買って使ったりした。
しかし、僕の想いは届かず、結局釣り上げる事が出来ないまま、最初の1年は過ぎていった。
哀愁漂う夕陽。今日も釣れなかった。
先輩アオ師との出会い
日本でのアオウオの生息域は主に関東で、利根川と江戸川、霞ヶ浦に多いと言われている。
最初の1年目、僕は自分の家から近い江戸川で釣りをする事が多かった。
…でも、なんか釣れる気がしない。釣り人のカンなのか何なのか。それとも釣れなさすぎて気が滅入ってきたのか。
そしてこの釣りを始めて2年目の夏が終わりかけた頃、珍しく土日休みだったのだが、彼女にお願いして釣りに行かせてもらった。
その日は気分転換に江戸川を離れ、前々から気になっていた利根川のポイントへ行ってみることにした。
実績のある有名ポイントだった。
いかにもタニシのいそうな石積みがあって、水深が急に落ち込んでいる。いかにもアオウオが好みそうな地形。
「ここだ!」
そう確信した。
とは言っても簡単には釣れてくれない。いつものようにテントを張って2日目を迎えた朝、誰かが車でやって来た。
「お前、テントなんか張ってここで釣りやってんの?ここ、俺が頑張って草刈りしたんだけどよぉ。」
あぁ、まずい。たしかにアシが綺麗に刈られていると思った。
車にはアオウオのステッカーが貼ってある。アオウオ釣り師の縄張りに横入りしてしまったのだ。
うーん、怖い。が、ここは思い切ってお願いしてみよう。
「竿はすぐにしまいます!その代わり、僕にアオ釣りを見せてもらえませんか!」
一生懸命、アオウオへの想いを話したところ、その人は急に優しい顔になって言ってくれた。
「お前、そんなにアオ釣りてぇのかよ。だったら今日、多分釣れっから見てけ!」
えっ?今日釣れる?そんな馬鹿な。
栃木訛りのこの人はアオウオ釣り師の坂東さん。見た目は怖いが本当は優しく、とてもユーモラスな人だ。
それから、そのすぐ後にやってきた古谷さん。古谷さんは、昇鯉釣心会というクラブの副会長で、巨鯉釣りの名人だ。
…だが、やはりというかなんというか、結局この日、アオウオは釣れなかった。
「釣れると思ったんだけどよー。」
「まぁ、こんなもんだ!ははは!」
けれどこの日、この2人と出会えたことで、僕とアオウオの距離は一気に縮まることになった。
僕は平日釣行が多かったせいか、アオウオ専門で釣りをしている「アオ師」と呼ばれる人をそれまで見たことがなかった。江戸川の有名ポイントに足を運んだりもしたにも関わらず、である。
坂東さんに話を聞くと、江戸川では以前と比べると釣れるアオウオの数も減っているらしく、今は利根川と霞ヶ浦がアオ師たちの主戦場となりつつあるようだった。
坂東さんや古谷さんの釣りを見て、仕掛けも少しずつ、自分で試しながら変えた。
針は一本がいいのか二本がいいのか。テンビンは使うべきか。針の太さは。仕掛けを打つポイントは。糸の素材は…。といった具合である。
それに、今までは手に入れる事ができなかった撒き餌用タニシの入手ルートも教えてもらった。
さあ、あとは釣るだけだ!
餌のマルタニシ。針に直接刺すのではなく、鮎のハナカンを利用して針に添える形で固定する。アオウオが吸い込みやすいよう、針には発泡玉をつける事も。
24時間体制で狙えるようセンサーも購入した。
アオウオ現る?
先輩アオ師と出会い、利根川に通うようになって、はや半年が過ぎていた。
メールで情報交換したり、相談したりはしていたが、やはり休みが合わないため、相変わらず一人ぼっちで利根川へ通う日々が続いていた。
いつものように竿を出し、あとは夢にまで見た憧れのあの魚が掛かってくれる事をただひたすらに待つ。
明るいうちは読書をして、暗くなったら星を眺めて煙草をふかす。
ここは県境の田舎町。広い河川敷の周りには何もない。何処か遠くで暴走族がバイクを空吹かししている音が聞こえた。
いつか俺にも釣れるかな。そんな事を考えながら、いつの間にかグズグズと眠りについていた。
夜が明けると天気は曇っていて、時折小雨も降っている。少し気温も下がったが、季節は春。アオウオは下流から確実に上流へ動き出しているはず。
一番活性の上がる昼前にタニシを撒く。ちょうどその1時間後位だろうか。突然アタリを知らせるセンサーが鳴った。急いで竿に駆け寄ると糸がすごい勢いで出ている。
これまで鯉は何本も掛けている。今度こそアオウオか?祈るような気持ちで深呼吸してアワセを入れる。
「掛かった!」
が、あまり引かない…。ただ、得体の知れない重さがあり、川底をひたすら潜水艦のように這っているのが分かる。不気味だった。なんなんだこいつは?
謎の魚との格闘が始まって5分位経った頃だろうか。絶対に無理はしないでおこうと決めていたので、ひたすら引きに耐えていたが、魚が一瞬浮いたのが分かる。
チャンス!ドラグを締め込み、相手を一気に水面まで浮かせる。あと少しだっ!頼むっ!
遂に魚体が見えたと思った次の瞬間、大人の顔ほどもある大きな尾ビレで水面が打ち付けられた。
バッシャァァァァン!!
「…………。」
一瞬、頭の中が真っ白になって時間が止まる。
この時を何日も何日も何百時間もずうっと待っていたんだ。見間違えようもないよ。
「きたあああーー!!アオだあああああああ!!」
夢が叶った日
絶対に逃してたまるか!最後の突っ込みに耐え、もう一度空気を吸わせたところで勝負は決まった。それからは嘘みたいに大人しくなり、巨体を横にしてゆっくりと近寄ってくる。
いつの間にか川に入ってしまっていたが、タモは土手のうえに置いたままだった。もういいや、手で獲ろう。左手で下顎をガッチリと掴む!
「うおおあああああああああ!!」
ついに僕の腕に抱く事ができたアオウオ。見よこの体高を。
長靴の意味無し!でも、いいのだ。
この日、3月28日は朝から他のアオ師の爺さんも釣りにきていた。初めて見る人だった。
お互い簡単な自己紹介しかしていなかったが、僕が釣れたとき、その人も一緒に川岸まで下りてきて喜んでくれた。
一旦、掴んだ魚と竿をその人に預け、タモとペンチ、カメラを取りに行く。
タモ入れ後に陸に上げようとしたが、重すぎて上げられない。胴回りは着ぶくれした僕と同じ位あった。
メジャーで測ると、全長はなんと148センチもあった。台の上で測ったわけではないので、1〜2センチの誤差はあるかもしれない。実際、この大きさでも、まだアオウオの中では最大級というわけではない。でも、そんなことはどーでもいい事だった。
夢にまで見たアオウオを抱え、まじまじとその巨体を眺める。目がつぶらでかわいい!ウロコもポテトチップスみたいにでかい!たぶん、これまで釣られた経験の無い個体だったのだろうと思う。綺麗なアオウオだった。
爺さんアオ師に写真を撮ってもらい、アオウオの頭を撫でて送り出したやった。
たぶん、釣られて怒っていたはずだろうけど、アオウオは元気に利根川へ帰っていった。その姿を眺めながら、僕は喜び安堵する反面、もう少し一緒に居たかったなと、後ろ髪をひかれてもいた。
あっ!
ここで重要な事に気が付いた。
写真をほとんど撮っていない!
つぶらな瞳も、親指が入る程でかい鼻腔も、特徴的な三角形の背ビレもだ。何やってんだよ、俺。
爺さんアオ師に撮ってもらった写真も確認すると全部遠い。しかも、何枚でもいいからシャッター切ってくれって言ったのに、5枚位しか撮ってないし…。
実際の写真。他のも全部この距離…。
振り返るともうアオウオはいなくなっていて、川は何事も無かったかのようにゆったりと流れている。
僕はその流れを見つめながら、濡れたジャケットからしわくちゃの煙草を取り出し火を点けた。
でも、いいじゃん。
だってお前、今、超嬉しいだろ?
ああ、嬉しいよ。泣けるほどに。
煙草の煙が、霞んで見えた。