タスマニアンキングクラブ(タスマニアオオガニ)の捕まえ方と食べ方 オーストラリア・タスマニア島
タスマニアンキングクラブ(タスマニアオオガニ)の捕まえ方と食べ方 オーストラリア・タスマニア島
2013年11月。思いがけずテレビ番組の制作会社から電話がかかってきた。それだけでもちょっとした驚きなのだが、内容というのがさらに思いがけないものであった。
「何か、捕まえてみたい深海のモンスターいませんか?」
呆気にとられた。何言ってんだこの人。
「一部始終を撮影・放送させてもらえるなら、ご希望の深海生物捕獲を全面的にサポートしますよ。」
新手の詐欺か。なんだこれは。こんな美味い話があるか。
だが、ふわふわした脳みそを綿菓子機よろしくフル回転させ、思い至った生物の名を挙げてみた。
「じゃあ、“タスマニアンキングクラブ”。」
現実感が無いまま、タスマニアへ飛ぶ。道中の記憶はほとんど無い。
タスマニアンキングクラブ、別名タスマニアオオガニは世界大級のカニとして知られる、深海〜漸深海性の大型甲殻類である。その名の通り、タスマニア島周辺の海域を主な産地としており、当地における重要な水産物でもある。
脚を広げた大きさは日本にも産するタカアシガニに軍配が上がるが、タスマニアンキングクラブのビジュアルインパクトはそれにまったく劣らない。
計り知れないパワーを感じさせる、分厚く膨らんだ甲羅に太い脚、そして恐ろしいほどに強大なハサミ。タカアシガニの大きさがNBAプレイヤーのそれであるとしたら、タスマニアンキングクラブのデカさはNFLプレイヤーに相当する。あるいは、ムエタイ選手と力士。
荷物の総重量は80キロ!後にも先にも、こんな大荷物を抱えて海外へ飛んだことはない。なぜこんなことになっているかは後述。
テレビで深海生物を捕まえさせてもらうにあたって、タスマニアンキングクラブを希望したのには一応それなりの理由があった。
まず、イヤらしい話だが、テレビが絡むのであれば、ある程度は勝算があることが前提となる。先述の通り、このカニは食用目的で商業的な漁業が確立されている水産物であるから、専門に獲っている漁業者が存在するわけだ。漁師さんにお願いして、ポイントまで連れて行ってもらえれば、あとはこちらの工夫次第でどうとでもできるはず。
第二に、これまたイヤらしい話で恐縮なのだが、このカニは個人で捕獲しに行くにはお金がかかりすぎることも、確かな理由の一つであった。せっかくテレビジョンという後ろ盾がついたのだから、その威を借りない手は無いだろう。これは僕にとって千載一遇の機会なのだ。
そして何よりの理由は、このカニが子供の頃から捕まえてみたいと思っていた「夢の生物」であったことである。お、最後の最後でイイ話っぽく締められたぞ。
ちなみに、僕にこの美味しい話が降りかかる背景には、コツコツと深海魚を捕まえてはウェブや雑誌で記事にするという僕の活動を「怪魚ハンター」の小塚拓矢氏が制作会社のディレクターさんに紹介してくれたという事実があったらしい。おお、持つべきものは良き友よ。
タスマニア島もう一つの巨大甲殻類、タスマニアオオザリガニ。エビ・カニ好きにとっては聖地のような島だ。
タスマニアの州都であるホバートへ降り立つなり、鋭い日差しに肌を焼かれる。思っていたよりずっと暖かい。よかった。船上でも凍える心配は無さそうだ。
出船地の港を目指して車を走らせつつ、世界最大のザリガニであるタスマニアオオザリガニの生息地やタスマニアンデビルの保護施設を見学して回る。タスマニアの自然がいかに奥深いかを思い知る道中となった。
夜は撮影隊とともに港町のバーへ。
日が暮れる頃、ふと港町のバーへ立ち寄ってみる。地元の漁師たちがえらいこと盛り上がっているので聞き耳を立てると、最近揚げた獲物の自慢合戦をしているようだ。
両手を広げて獲物の自慢をしあう漁師たち。ロシアには「釣りの話をするときは両手を縛っておけ」という諺があるらしいが、少なくとも写真中央の男性に関しては両手の使用を許可せねばならない。
どんな魚が捕れるのか気になって話しかけてみると、漁師さんたちがすごい勢いで「お前ら日本人か!聞けよ、こいつは凄いんだ!チャンピオンだぞ!」と、ある初老の男性を担ぎ上げはじめた。
その男性はその男性で「そうだ。俺はチャンピオンなんだ。世界一の漁師だ。」とうなずいている。なんだこの人たち…。
なぜなら、彼はかつて体重2トンの巨大ホオジロザメを捕獲した伝説の漁師だったから。すごい人に遭遇したぞ。
ハイハイ。どこの国でも釣り人や漁師は自慢話がお好きですねー、と適当に聞き流していたところ、一人の漁師が店の奥に飾られた額縁を手に取ってやってきた。
「こいつはあいつが獲ったんだ。」
目を剥いた。額の中には巨大なサメが這いつくばっていた。
1982年に、タスマニアの海で彼が捕らえた全長6メートル、体重2トンのホオジロザメだという。
「当時はワールドレコードだったんだ。今はどうだか知らんが。」とチャンピオンは誇らしげに語った。
タスマニアの海、思った以上に豊穣だ。さすが、キングクラブが暮らしているだけのことはある。
バーに飾られていたタスマニアンキングクラブを獲るカゴ。シーズンを異にするイセエビ漁と共用するようで、呼び名は「ロブスターポット」だった。しかし、キングクラブを獲るには口が小さすぎるような…?
はるばる日本からキングクラブを探しに来た旨を伝えると、彼はおおいに僕とスタッフを歓迎してくれた。そしてこう続けた。
「確かにキングクラブはモンスターだな。でもまあ、ホオジロザメの方がモンスターだ。あいつらは凄い。でかくてパワフル。あいつらはツナが好きだから俺たちとはライバル同士だな。マ●ーフ●ッカーだ。」
「でも、一番●ザーファ●カーなのはアザラシだ!あいつらはサメよりタチが悪いマザ●ファッ●ーで、釣れた魚を全部水中で盗んでいくんだ。マ●ーファッ●ーだ‼」
…実際にはこの四倍くらい回数、「マザ●ファ●カー!」と吐き捨てていた。口を開けば「●ザーフ●ッカー」。映画以外で初めて聞いたわ、そのスラング。
とにかく、彼はずる賢いアザラシが憎くて仕方ないらしい。一方、同じ「魚泥棒」であっても、自身と死闘を演じたホオジロザメには多少の敬意を抱いているようで、賞賛の言葉も並べていた。海の男らしい姿勢だ。まあ、最後に吐き棄てる「マ●ーファッ●ー!」で台無しなのだが。
キングクラブ漁船が発着するスタンレーの港。
刺激的な夜が明け、タスマニアンキングクラブを捕る漁船が発着するスタンレーという港町へやってきた。
夢の舞台を目前にした興奮で、ゆうべは一睡もできなかった。いや、一昨日も寝つけなかったな。足元がふらつくが、まだ大丈夫。
お世話になる漁師さんたちにヘタクソな英語で挨拶を交わし、キングクラブをおびき寄せるエサを買い込む。以後は出船時間まで港周りを散策することに。
港に立つタスマニア島沿岸に暮らす魚たちを示す釣り人向けの看板。南日本の魚類相に近い印象を受ける。また、野生動物保護の先進国だけあって、ほとんどの魚にレギュレーション(持ち帰れる個体数と最小サイズ)が設けられている。
港の隅には小さな水族館が。
看板のてっぺんには目指すキングクラブの姿!彼らはこの町のシンボルにしてアイドルなのだ。
港のはずれに、かわいらしい水族館があった。水族館と言っても、いくつかの小さな水槽に沿岸で採れる魚や小動物を展示しているだけの素朴なもの。とはいえ、そのすべてが日本にはいない生物なのでなかなか楽しめるのだが。
館内には乾燥標本が飾られていた。このハサミ…!
一通りの展示を見終えて奥の壁に目をやると…。いました、キングクラブ。
うわー…、実際に見ると本当にでかいな。生きていたら、何倍も迫力があるはず。一体どんな具合に動くのだろう?やっぱりハサミの力は強いのかな?記念に、腕を挟ませてみようかな。夢は膨らむ。
しかし、不安も芽生える。こんなの、本当に採れるか?ロブスターポットに収まるか?ヤワな作りだと一瞬で壊されてしまうのでは?
港のはずれには大型のキングクラブの亡骸が転がっていた。ハサミは残念ながら先端部分しか残っていなかったが、それでも冗談みたいにデカいことはわかる。
ソワソワしながら水族館を後にすると、今度は白骨化(骨じゃないけど)したキングクラブの殻を発見した。いざ手に取ってみると、恐ろしくデカい。殻も異常に分厚い。死骸となっていながら、なおもこれほどかっこいいとは…。
しかし、腑に落ちないことがある。先ほど漁師さんに話を聞いたところ、沖で獲れたカニは陸揚げ後すぐに仲買人が持って行くということだったが。とすれば、これは買い手がつかずに打ち捨てられた、あるいは漁師たちが売らずに自家消費したものだということか?こんなに立派な個体なのに、なぜそんなことになるのだ?もったいなくないか?
廃棄されたロブスターポットの口にあてがうと、どうやっても入らない!
このサイズを狙って獲るのであれば、専用のカゴを用意しなければならないようだ。
これに関して、もう一つの謎が見つかった。
港に打ち捨てられたロブスターポットを見つけたので、先ほどの白骨蟹が中に収まるかどうか試してみたのだが、どうにも上手くねじ込めないのだ。
色々と想像を超えてるな…。大丈夫かな…。
え、入らないよ…。じゃあ、これより大きな個体とか絶対この仕掛けじゃ獲れないじゃん…。
なんでもっと口の大きなポットを使わないのだ。
漁師さんたちの元へ戻り質問をぶつけると、意外な言葉が返ってきた。
「あんまり大きい個体は獲りたくないんだ。」
え?なんで?資源保護の観点からですか?
「極端にでかい個体はたしかに肉もいっぱい付いてるけど、かさばるし殻が硬すぎて加工もしづらいから、なかなか買い手がつかないんだよ。僕らや買い手からすると3キロぐらいがベストサイズだね。」
とのこと。目から鱗だ。
えっ、じゃあさっき転がってた白骨蟹はどうやって獲れたのだ。あれは相当大きかったぞ。3キロとか5キロではきかないサイズだったはず。
「入り口の小さなポットを使っていても、たま~に入り口に体をつっかえさせて水揚げされちゃうやつがいるんだ。あと、奇跡的に体をねじ込んで入っちゃうやつもいるね。どうやって入り込むのか、一度見てみたいよ。」
ええ~、そうなの…?そんな感じなの…?
ならば、彼らの真似ごとをしていても大物が取れる確率は非常に低いということになる。
だが、これは僕にとっては幸いである。ターゲットを捕まえるために自分なりの工夫をする余地が生まれたのだから。
日本から持ち込んだ対キングクラブ兵器はこれ!百円ショップで購入した大量の金網!
もし、漁師さんたちが大型個体を確実に獲る方法を知っていて、かつそのための道具をも完備していたら、僕は何もすることが無くなってしまう。それこそ、ただの純粋な漁業体験学習である。
漁場へ連れて行ってもらうだけでも十分すぎる程だ。
いや、むしろ海産生物を捕獲するにあたって、ポイントまで案内してもらうというのは95%のお膳立てを済ませてもらったようなものである。僕は、その残りの5%を自分なりの知恵と工夫で埋めるだけなのだ。
では、その5%を埋め、巨大なカニを手にするための作業を始めよう。
これを針金と結束バンドで組み立て、即席の巨大カニカゴを作る。内部には餌を入れるバスケットを設置し、入り口はカニが一度入ったら出られないように細工。
こうなるだろうと思って、いや、こうするつもりで秘密兵器を持ってきたのだ。
それは大量の、ただの金網。
これを組み合わせて、大型のキングクラブにもバッチリ対応するオリジナルトラップ、要は馬鹿でかいカニカゴを作るのだ!
ちなみに、80キロの荷物の大半はこのカニカゴの材料と、これを沈めるオモリが占めていた。これは、僕の気合の重みなのだ。
お世話になった漁船レイチェルマリー号とジョン船長。
船に乗り込み、甲板で夢中になってカニカゴを組み立てていると、いつの間にか岸が遠のいている。
ついに出船だ。
出港!この頃はまだ元気だったんだけどね…。
悪夢の始まりである。
港を出ると、すぐに海が荒れだした。白波が立ち、うねりも強い。港を離れるほど、その勢いは増していく。すぐに甲板に立っていられなくなる。辛い!酔いそうだ!
そしてここでバッドニュース。なんと、漁場まで片道14時間もかかるのだそうだ。
酔った。
トラップに入れるエサは冷凍のマスやバラクーダの頭。それから…
5年ぶりに味わう船酔い。しかも、かなり本格的やつ。その原因が波だけでないことに気付いたのは出船後かなり時間が経ってからだった。
その原因というのは「におい」。生暖かい排気ガスのにおいもそうなのだが、さらにキツいのが先ほど買い込んだエサのそれがより致命的だった。
購入したエサは小さなイワシ、脂肪の酸化した古いマス、バラクーダの頭。これらはかなり生臭いものの、まだマシである。漁船に乗れば必ず嗅ぐにおいなのだから覚悟はできていたからだ。しかし、思わぬ伏兵がいた。牛のスネを大量に積んでいたのだ。
小イワシと牛のスネ。この牛のスネが血生臭い!獣臭い!そして腐肉臭い!
ロブスターポットに仕込むエサを複数種用意するのには理由がある。
キングクラブ漁は仕掛けを沈めてから回収するまでに最低1日、長い場合だと10日ほども間を置く。しかし、海中にはキングクラブのほかに小さな等脚類や動物プランクトンなど、肉食性の小動物が大量に存在している。下手をすると、キングクラブがエサの存在に気づいてポットに入ってくれる前に、彼らが肉を食いつくしてしまう可能性があるのだ。
そこで、「持続時間」に差のある餌を複数組み合わせ、長時間カニを寄せ続ける工夫が生まれたのだ。抜群の効果があるが、すぐに食われて無くなるイワシ。イワシほどではないが良くカニを寄せ、イワシよりは持ちのいいマス。さらに効果は落ちるものの身が固く、なかなか食い尽くされないバラクーダ…といった具合である。
そうした中で、牛のスネは抜群の持久力を誇る。海中で何日経っても皮と肉と筋が残り、においを放ち続けるのだ。ただし、ドロドロのグジュグジュにとろけ腐ったゾンビのような状態で。
漁場へ着くなり、腐ったスネが入った古い仕掛けを引き上げる。惨劇の幕開け。
で、前回の出船で投入したゾンビ牛スネが入ったポットを、今回も漁の途中で回収したのだが、これがもう凄まじく臭い。船に乗っていなくても、嗅げば問答無用で吐き気を催す悪臭である。もう、思い出したくもない。
船長は「このにおいがキングクラブに効くんだ!」と言っていたが、絶対嘘だと思う。
初めて体験する荒波に揺られて憔悴しきったところで、この化学兵器を食らうのだからもう酔い放題。そして吐き放題。
写真だと伝わらないかもしれないが、一般人の感覚で言うなら漁場周辺はほぼ嵐。すごく喫水の深い船であるにもかかわらず、どっかんどっかん波を被る。椅子や樽など軽いものは、一瞬目を離すとあれよあれよと転がり、吹き飛ぶ。
船酔いでまともに動けなくなっている僕を尻目に、ディレクターとカメラマンさんは淡々と仕事をこなす。なぜ平気なのか聞いてみたところ、彼らは揃って筋金入りのサーファーなので、三半規管がむちゃくちゃ強いのだとか。すげえなサーファー。
食事を吐き出し、胃液を吐き出すと、いよいよ吐くものが無くなる。ここで我慢しているとやがて毒々しい色をした胆汁を吐き出すことになるのだが、そこまで行くとゲームオーバー。本格的に立ち直れなくなるので、胃液が出尽くしたら絶え間なく水を飲み続け、それを吐き続ける。吐くために飲む。これをひたすら繰り返し、回復を待つのだ。
キャビンには立派なベッドルームが。ここでちゃんと休めたおかげで、なんとか地獄の船酔いからカムバックできた。
少し症状が落ち着いたところで、巨大カニカゴにエサをセットして水深250メートルの海底へ沈める。カゴにはロープでブイを繋いでおき、翌日回収する。
時間の都合上、投入のチャンスは2回だけ。結構シビア。
最低限の仕事を終え、ベッドへ倒れこむ。まだ船上の片付けなど、やるべき仕事は終わっていないのだが、本当に限界だったのだ。
タスマニアの深海釣り!でもアイツが邪魔を…!
目が覚めると、かなり体調が回復していた。波もやや穏やかである。どうやら今は待機時間なので、片道2時間ほどかけて比較的天候の良い海域に移動してきたらしい。
空っぽの胃に少しの食事を入れておく。
まだまだ第一試合の結果発表まで時間がある。船長に交渉して、深海魚を狙って釣りをさせてもらうことになった。
水深500メートル以上の海域を希望したところ、やはりまた2時間近い航海を要することに。ポイントに近づくほど、海は再び荒れ模様を呈し始める。
日本の遊漁船なら絶対に出船しないようなうねりと高波に翻弄されつつ、釣り竿を伸ばす。
タスマニアの深海では日本では冷凍白身魚としておなじみのホキ(現地名:ブルーグレナディア)や
ツノザメの一種(現地名:ドッグフィッシュ)などが釣れた。まともな写真を撮影する余裕が無かったのが悔やまれる。
案の定、潮の流れも非常に速い。2.5キロのオモリを使って、仕掛けを無理やり深海へ沈めると、さっそく海底からの応答を受信した。
タスマニアの深海はなかなか豊かであるらしく、ホキやツノザメ類、ユメカサゴに似た魚などがポツポツと釣れてくる。
水深100メートルほどの浅場で立て縄を入れると、スクールシャークというサメが釣れる。タスマニアではこのサメやコチをフィッシュ&チップスの材料としている。
さらにタスマニア沖にはピンクリング(キングクリップ)という大型のアシロも生息しているらしいので、大きなエサでそれを狙ってみる。
今日は絶対に酔うまいと、遥か水平線をの彼方を眺めていたときである。釣竿が勢いよく曲がった。そこそこ大きな魚が掛かったようだ。水深500メートルから400、300、200メートルと順調に釣り糸を手繰り寄せていく。だんだん暴れ方もおとなしくなってきた。水面から100メートルを切り、これはイケるぞと確信した瞬間、手元にガクン!という衝撃とともに尋常でない重みが伝わってきた。魚がいよいよ本気を出し始めたか?いや、違う。きっと僕の獲物にサメが食いついたのだろう。ああ、あと少しだったのに!
ならばそのサメを釣ってやろう。だが、相手の力が尋常ではない。10分以上に及ぶ格闘の最中、突然20メートルほど先の海面が爆発し、真っ黒な海坊主のような物体が現れた。
「サメじゃない!アザラシだ!!」
しかも、口元には大きなピンクリングがぶら下がっている。
ヤバい!アザラシに釣り針ひっかけちゃったのか!と血の気が引いたが、船長は「大丈夫だ。アザラシは賢いから、魚は盗むが絶対に釣り針は口に入れない。魚の体を咥えているだけだ。」と言う。
水面でたびたび身をひるがえす様子を見ていると、たしかに咥えているのはピンクリングの尾に近い部位である。それを見て敗北を確信した。向こうは別に針が掛かっているわけではないのだから、イヤになったら口を離すだけでことは済むのだ。すべてはヤツのさじ加減。それでもやりとりが長時間に及んでいるのは、きっと遊び相手にされているだけなのだ。
こっちは必死だが、向こうは余裕しゃくしゃく。勝負だと思っていたら、実はただのお遊戯だった。なんて滑稽。
そうこうしているうちに、釣り針からピンクリングが外れた。勝負あり。
あぁ、なるほど。ようやく彼の言うことが理解できた。
「マ●ーフ●ッカー!!」
小さなキングクラブは獲れるが…
あんなに大きなピンクリングを進呈したのに、アザラシは相変わらず船の周りを泳ぎながらこちらの様子を窺っている。また僕が魚を掛けるのを待っているのだ。
しかも、ポイントを移動するたびにピッタリついてくる。これでは釣りにならない。
アザラシから逃げ回っているうちに日も暮れてきた。そろそろキングクラブのカゴを揚げてもいい頃だ。
負けを認め、カニ漁場へと戻る。
現場へ着くなりウィンチで次々と引き上げられる漁師さんたちの仕掛け。覗き込むと、小さなカニや肉食のウニ、ウミシダなどが入っている。
こうした小さな生き物も、初対面のものばかりで興味が尽きない。
ロブスターポットやカニカゴによく紛れ込んでいたホモラの一種。
なかなか良い顔立ちをしている。ホモラ。
こちらは肉食性のウニの仲間。
紅白の美しいウミシダ。あれ?どいつもこいつも同じようなカラーリングだ。一見すると目立つ配色だが、深場には赤い光が届きにくいため、これが効果的な隠蔽色になっているのかもしれない。
引き上げられたあるポットの中に、大きめのセカンドバッグほどある赤い塊が見えた。
おっ、これはもしかして。
漁師さんたちが捕った!…でもイメージしてたより小さい。彼らが言うには「これくらいのサイズが売りやすいんだ」とのこと。
タスマニアンキングクラブだった。生きている姿は初めて見た。
だが、サイズ的には「このカニ、結構でかいね」程度のもの。もう二回りほど大きなものを所望するが、売り物としてはこれくらいが最適らしい。
漁師さんたちはポットからキングクラブを取り上げると、甲羅に物差しをあてがってサイズを確認し、既定の大きさに達していない個体は直ちに放流する。既定に満たない個体を水揚げすると、かなり厳しく罰せられるのだそうだ。
堰を切ったように次々と水揚げされるキングクラブたち。その動きは思った以上に緩慢だった。既定を満たしたカニたちはおもむろにハサミを結束バンドで固定され、生簀へ放り込まれる。取り扱い中の事故と、カニ同士でのケンカを避けるための措置である。
獲れたカニは甲長を計測し、規定サイズに達した個体は甲板に空いた生簀に放り込んでおく。
ただ、波が荒いときはこの生簀が落とし穴として機能するのでとても恐ろしい。
たしかに、彼らがキープしているカニは粒がそろっている。
タスマニアンキングクラブの赤ちゃんも!
まあ、このくらいだと普通のカニだよね。資源保護のため、当然リリース。
さて、いよいよ100円金網で作った僕の秘密兵器が引き上げられる番である。
まず一つ目のカゴが浮上する。
おお!キングクラブ入ってるぞ!しかも3匹も!
…だが、小さい。いわゆる食べごろサイズだ。船長たちは「お前のそのトラップ、いいな!」と喜んでいる。まあ、お役に立てたのならよかった。
見よう見まねでハサミを縛り、生簀へ放り込む。
さあ、次だ次!
残ったエサには小さなグソクムシがたくさんくっついていた。
水面に浮いてきた二個目のカゴ。中には一抱えほどもある大きな影が見える。すわ巨大キングクラブか!と思いきや、なんだか色合いが茶色っぽい。甲板に揚げてみると、その正体はまさかのサメであった。
特製カニカゴになんとサメが!ナヌカザメの一種であるオーストラリアンスウェルシャークだと思われる。
現地では“old maid(年を取ったお手伝いさん)”と呼ばれていた。確かに大きな口に生えた歯はとても細かく、一見するとそのすべてが抜け落ちてしまったよう。しわしわの皮膚も相まって、かわいらしいおばあちゃんのような印象を受ける。
大好きなナヌカザメの一種だった。本来のターゲットではなかったものの、これは嬉しい。
サメのくせにほとんど暴れず、たまにポテポテと小さく身をよじるだけ。かわいい。
これで前半戦終了。一定の収穫はあったものの、目標の大型個体は姿を見せてくれなかった。
泣いても笑っても、次の投入がラストチャンスである。
だが、このまま同じ漁場で再挑戦しても望みは薄いように思われる。
あらためて船長に話を聞く。
「ここにはキングクラブはたくさんいるけど、みんなあんまり大きくなさそうだね。」
「そうだな。このカニは群れごとにサイズが変わってくるんだ。大型がたくさん混じる群れもあるんだけど、そういう群れは密度がまばらで漁をするには効率が良くないから、私たちはあまり狙わないんだ。」
「そういう群れはどこにいるかな?」
「ここよりもう少し浅い場所に多い気がする。浅いラインまで移動してみるか?ヒロシに任せるよ。」
「じゃあ、思い切って170~200メートル辺りまで引き上げよう。たぶん、ちまちまずらしても結果は変わらない気がする。売るのにちょうどいいサイズはあまり獲れなくなるかもしれないけど、いいかな?」
「もちろん。お前の言うとおりにするさ!」
「ありがとう、船長!」
「チャーター料たくさんもらってるからな!」
「あ、そっすか。」
浅場では日本のイシダイにそっくりな魚が。
この歯でホモラやチビキングクラブをバリバリ食べているのだろうか。
サヨナラホームラン
船が新たなポイントに着いた。
祈る気持ちでエサを詰めたカゴを投げ入れる。二個目のカゴが暗い海に沈んでいくのを見たとき、得も言われぬ焦燥感に襲われた。これで獲れなかったらどうしよう。どうしようもないのだが、どうしよう。
撮影クルーも同じ気持ちだったようで、みなさん若干眉毛がハの字になっている。
「もうなるようにかならない!」と自分に言い聞かせ、キャビンのベッドへ向かう。
いつの間にか、船酔いは克服していた。
長めに休憩し、ゆっくりと食事をとり、深刻な顔をしたディレクターさんは見て見ぬふりをし、いよいよカゴを回収する時が来た。
泣いても笑ってもこれが最後。祈るしかない。
やがて、水面に白い直方体が浮かび上がる。その中には、恐ろしいほど立派な日の丸が鎮座していた。
「来た!!」
これぞタスマニアンキンングクラブ!タスマニアオオガニだ!
赤い岩のようなタスマニアンキングクラブだった。文句なしの特大サイズ!
はやる気持ちを抑えきれず、カニカゴを破壊して取り出す。
撮影隊の皆も、歓声を上げた。
重厚感に満ちた真っ赤なボディー
抱き上げる瞬間に、尋常でないボリュームのハサミが見えた。嘘だろ。何だよこれ。
でも、一番のチャームポイントはやっぱりこの馬鹿でっかいハサミ!
なんだこれ。冗談はよしてくれ。
出港前、「獲れたら記念に腕でも挟ませてみようかな~」とか言っていた自分を蹴っ飛ばしてやりたい。こんなの絶対無理。間違いなく骨に影響が出る。
試しにクルミを挟ませてみると、彼は実にスムーズに粉砕して見せた。すんません、調子乗ってました!
もうこれ以上多くは語るまい。写真を見てもらえれば、すべて伝わるはずだ。
さらに大型個体二匹目!
こんなかっこいいカニが、世の中にはいるんだぜ!!
漁師さんたちが狙って獲っているサイズ(写真下)に比べると、その迫力の差がはっきりわかる。やはり、特にハサミのボリューム感!
夢見心地で港へ戻ると、カニの仲買業者が既に駆けつけていた。それを見て一気に現実へ戻る。
ああ、この人たちにとってはこれが日常なんだよな。キングクラブも、一番身近な海洋生物なんだよな。すごいな。
「食べごろサイズ」はなかなか大漁!主に中国へ輸出され、クラブケーキなどの加工材料になるという。
船上で水揚げを仲買業者に連絡。帰港すると既に仲買人たちが待ち構えている。
「夢が叶った日」が暮れていく。
ところで、これはテレビ番組の撮影である。せっかく巨大なカニが獲れたとなれば、必然的に「スタジオの皆さんに食べていただきましょう!」的な展開になる。
売り物としてはイマイチだという大型個体二匹を譲り受け、特に大きな方はボイルして日本へ送り、二番目はその場の皆で味見してみることにした。
二番目に大きな個体を(買い取り直して)食べてみることにした。別れの握手だ。
シンプルに茹でてみるが、寸胴鍋に収まりきらない…。
船上には見合ったサイズの皿が無かったため、鍋を器代わりにする。
船のキッチンを借りて、キングクラブを茹で上げる。甲羅のでかさ、ミソの量、すべてが規格外だがやはりここでも視線を集めるのはハサミ。この場合はカニの爪と呼ぶべきか。
大の男三人がかりで食べきれないカニ爪。こんなものがこの世に存在するという事実に乾杯。
やはり、畏怖を感じるほどでかい。ほんとにこれ食べていいの?と恐縮してしまうくらいだ。
殻を割ろうとペンチで挟んだり叩いたりするが、どうにもならない。二人がかりで挑んでも、ぽろぽろと欠片が落ちるだけ。この殻の厚さと硬さは、きっと甲殻類界最強だろう。
殻が全然割れない!
しかたがないので関節の断面からフォークを突っ込んで身を掻き出す。うおっ、と声が出た。身の繊維がものすごく太いのだ。ひやむぎくらいあるぞコレ。
見たまえ!この身の繊維の太さを!これがあの巨大なハサミにみっちり詰まっているのだ。そりゃあクルミぐらい砕くわな。
味は…美味い!
体がでかいから大味だということはなく、ズワイガニにも引けを取らない甘みと旨みを感じる。ただし、繊維がこれだけ太いと食感は全く別物で、しいて言うならタラバガニに近い。
そして、食べても食べても無くならない。成人男性が三人がかりでも、爪一つ平らげるのに必死になった。間違いなく美味いのだが、さすがに量が多すぎて飽きてくるのだ。
十分に満足してしまったので、ボディーと脚の身は船員たちに進呈した。
トマトスープ?いいえ、カニミソです。味は濃厚すぎるほどに濃厚。しかもおかわりし放題!ちょっとシャバシャバして見えるのは、茹で汁が混ざってしまったため。
また、カニミソがとても濃厚で、これまた尋常でなく量が多い。お椀に注いで、スープ代わりにカニミソを飲むという非日常的な経験ができた。濃厚すぎて胃が焼けそうだったが。
「カニって、あんまり大量にあると意外にすぐ飽きるんだね。」ピザで口直しをしつつカニ肉をむさぼり、スープ代わりにカニミソをすする。タスマニア島最後の晩餐は異様なものだった。
なお、スタジオへ届けられた特大個体はというと、巨大カニグラタンと巨大カニクリームコロッケに!
見事、年末のお茶の間を沸かせてくれたそう。収録後、残りを食べさせてもらったが、どちらもプロが調理しただけあって大変おいしかった。
もう感謝しかない
突然降りかかった幸運により、こうして夢の生物を捕まえることができ…、いや!「捕まえさせていただくことが」できた。テレビ関係者や漁師さんをはじめとする、たくさんの方々の協力によって。
僕がした努力や工夫なんて、全体の工程を見るとほんのわずか、最後の最後のひと押しでしかなかった。というか船酔いで足をひっぱりまくってたくらいだし。
けれど、その微々たる力と意志が決め手となって捕れたタスマニアンキングクラブは、僕にとって一生忘れられない素晴らしい思い出に、そして誇りになった。
なんか、そのうちもう一度会いに行っちゃう気がするなぁ。今度は船酔い対策をバッチリして臨もう。
取材協力/写真提供:ユータスマニア