アラスカの珍魚 ロングノーズサッカーとの出会い
アラスカの珍魚 ロングノーズサッカーとの出会い
普通、ほとんどの人は『サッカー』と聞けばSoccer、いわゆる蹴球を思い浮かべるだろう。それ以前に魚の姿を想起した人は、筋金入りの魚好きだろう。
今日は、その一般的にはあまり馴染みが無いであろう魚、“Longnose Sucker”を紹介したい。
アラスカでその珍魚と出会ったのは現地の友人らとアイスフィッシングに出向いた折のことであった。
アラスカでのアイスフィッシングのターゲットと言えば、レインボートラウト、ドリーバーデン、レイクトラウト、パイク、バーボットあたりが一般的である。
釣り場にもよるが、氷が湖上を車で走れる程厚くなる頃、12月中旬あたりからこの釣りは本格的にシーズンインする。
氷で閉ざされた水面下の魚達は想像以上にアグレッシブだし、予期せぬ大物との出逢いが多いたま、現地でも人気の釣法となっている。
冬のアラスカでの釣りにおいて、夏との大きな違いは何と言ってもまず、熊に対してのケアが不必要な点だろうか。
アラスカという地での熊の存在の大きさを、凍りついた湖上でひしひしと感じることができるのが、なぜか妙に嬉しかったりする。
また、蚊に悩まされることが無いのもありがたい。それだけでかなり快適に感じられる。
余談だが、アラスカ在住の友人宅にお邪魔した際に、冷蔵庫の中で越冬する蚊を見つけたことがある。氷点下の戸外に比べれば冷蔵庫内の方が遥かに暖かく快適なのだ。
それから、日照時間である。
極端に日が短くなるため、釣りに臨める時間が大幅に削られてしまうのだ。
朝10時頃から昼2時頃までの約4時間前後だけ、まともに釣りを楽しむことができる。
陽が昇り始め、辺りがようやく明るくなり始めた…。そう思った途端、太陽は上昇を止めて水平移動を始め、そのままストンとその姿を隠してしまう。暗く、寒く、長い夜の到来だ。
頭では理解したつもりでも、この「太陽の水平移動」という現象にはかなりの違和感があった。
日照時間の少なさの影響は実釣時間だけに限らず、人体への影響も大きい。紫外線不足になりがちなこの時期、友人らは病院にわざわざ紫外線を浴びる為に足を運ばなければならない。
一日中魚のことばかり考え、知らぬ間に釣り熱にほだされ、寝る時間を見失いがちな白夜の夏とは雲泥の差だ。
その日も、我々はレインボートラウトを狙って、とある湖上に向かった。
それぞれが目ぼしい場所に釣り座を設ける。この釣りは、鋭く引き締まった、冬の大気を感じられる。私はこの凛とした清々しさが好きなのだ。
我々以外は誰もいない。
白く広大な景色の中でゆったりとした気分に浸りつつ、餌を湖底へ落とし込んだ。
友人らと談笑しつつ、たまに湖上に開けた穴から餌の具合を覗きこむ。すると突然、黒い影が視界に飛び込んで来た。
予期せぬ出来事に、身体を思わず仰け反らせた。
なんだ…?今の魚。
黒くて、ずんぐりしていた。トラウトの類ではない。それは間違いない。
正体不明、見たことのない魚へ好奇心が煽られる。なんとしても、あの魚をまじまじと見たい。釣り上げたい。そんな、どうしようもない衝動に駆られた。
餌を付け直して再度、仕掛けを投入する。
ヤツの再来を待つ。チャンスは、意外と早くやってきた。
どこからともなく、ヤツが再びその姿を現した。餌の筋子を見つけたのだ。
餌の周りを旋回する謎の魚。彼か眼前の餌の誘惑に理性を失い、我慢出来ずに口へ運んだその瞬間…。
ヒット!竿がしなる。
引き味はそれほど強くもないが、やり取りは慎重に行う。
戦いの末、氷上に姿を現したのはロングノーズサッカーだった。
Suckerのネーミングの由来は頭部腹側にあるぼってりした特徴的な口にある。
ニゴイやカワムツ、マルタといったコイ科魚類のパーツを寄せ集めたような、何ともカオスな魚。
アラスカに生息する唯一のsucker類で、日本には分布しないコイ目サッカー科に属する魚である。
離島を除くアラスカ全土の湖、川に生息し、澄んだ冷水を好む傾向が強い。
食性は水生動植物、藻類、甲殻類、魚卵等を好む。
食味はパサパサした白身で小骨が多く、美味しいとは言い難いらしい。用途はもっぱら犬の餌にされる程度しか無い、いわゆる雑魚であるようだ。
この日の釣りでLongnose Suckerと出逢うまで、アラスカにこんな魚がいるとは露知らずだった。
トラウトをはじめとするメインターゲット以外にも、こういった予期せぬ魚や生き物との出逢いが多いのも海外の釣りの愉しみの一つだ。
一つの出逢いが、次の出逢いへの橋渡しとなる。そして、まだ見ぬ場所で、まだ見ぬ魚や生き物と出逢う夢が、次の旅への“熱源”となる。気が付けばその夢を現実のものにするべく、旅する自分がそこにいる。
あのシックな装いに身を包んだロングノーズサッカーという魚は、そんな海外釣行の楽しみ方を、私に再確認させてくれたのだった。