初めてのパイク、忘れられない一匹 (イギリス・ロンドン)
初めてのパイク、忘れられない一匹 (イギリス・ロンドン)
「ヨーロッパ屈指の大都市ロンドンでパイクが釣れる。」
そんな話を初めて聞いたのは、もう7年以上前だろうか?イギリスに住み始めてしばらくした頃、友人との電話越しだった。
しかし、釣りからしばらく離れていた僕はすっかり一般人の常識に毒されていた。
「あんな小汚い川(運河)に魚なんていないよ!」と、特に気に留める事もなく、パイクという古代魚の顔だけ思い出し、いつの間にかそんな話をしたことさえも忘れていた。
それから2、3年経ったある日、仕事で立ち寄った水辺でルアーを投げる釣り人に出会った。
話しかけてみると、パーチという小魚を釣っていると言う。
これがパーチという魚。パイクほど大きくはならないけれど、肉食性でルアーにもアタックしてくる。
「ちょっとこれではルアーが小さすぎるけど、時々パイクも釣れるぜ。」錆びついたメップスを自慢げに見せてくる歯抜けのオッサンの話に、どこかで眠っていた感覚がまるで音を立てながら湧き上がってくるようだった。
夢中で街を歩く とにかく歩く
調べてみると、日本語でもその情報が出てきた。
Electric Eel Shockというバンドのボーカリスト、森本明人がロンドンのカナル(運河)でパイクを釣っている。
余談だが、後に彼を師匠と慕って、バンドのヨーロッパツアーの度に一緒に釣りをするようになるようにもなった。
写真を見る限り、日本にあるバスタックルでもとりあえずはどうにかなりそうだ。すぐに日本の友人に連絡を取り、いくつかルアーを見繕ってもらい、イギリスに送ってもらった。
すっかり住み慣れて、半ば見飽きた街並みが急に輝いて見えた。
住み始めた頃、まだその小さな路地がどこに続くのかワクワクしていた時のように。
電話の向こうにいる友人は「だから言ったじゃん!」と、少し呆れている。
ロンドン市内の釣具屋にも行き、市販のワイヤーリーダーやフォアセップスを買い足した。
日本からのルアーも到着した。
ロンドンの街中で竿を振る日々が、始まった。
ある程度の情報はネットに転がっている。とは言っても、最初の1匹に辿り着くのは簡単なことではない。
今日はこのエリア、明日はこのエリア、という風に、ロンドンを横に一直線に伸びるリージェンツカナルをとにかく歩き回った。
ロンドンでは24時間バスが運行している。少し離れたカナルを探りに行く日は、まだ路線番号の頭文字が「N」表示のバスに飛び乗った。NightのNだ。
まだ薄暗い明け方の街を、釣竿を持ったアジア人が毎日のように一人さまよう姿は異様だったに違いない。
忘れられない1匹と忘れない1匹
全くパイクの手応えがないまま数日が過ぎ、小さなスピナーでパーチを釣りって茶を濁したりしていた。
そんな矢先、パイクは突然その姿を現した。
ピックアップが近づいたところで何かに根掛かってしまったと思いロッドを煽ると、初めて感じる重量感と引きがロッドに伝わる。魚体が水面に翻った。パイクだ…!
初めて見るパイクの姿に興奮しながら、カナル沿いに停泊するナローボートに挟まれた場所で苦戦しているうちに、ロープに巻かれてしまった。
その悔しさは、伸びきったスピナーベイトの無残な姿と、首を振って大きな尾鰭を振って濁りに消えていったパイクを今もはっきりと思い出せる程だ。逃してしまったからこその、まさに忘れられない1匹。
まだドキドキと音を立てる鼓動が落ち着くまで、もくもくと上がる砂煙を眺めていた。
しかし今も思い出せる初めての1匹との出会いはその後すぐにやってきた。
数日後、バスケの帰り道にふと立ち寄った、まだ釣ったことのないエリア。
ルアーを投げ始めてまもなく、明確なバイトと同時にあっさりと釣り上げてしまったパイクは、まるでサンマのように細くて可愛かった。
だが、パイクという魚の迫力はこんなものではないはずだ。これだけでは終わるまいと更に釣り進む。まだ薄暗いとはいえ、時間は夜の9時を回っていた。イギリスの夏は、朝は4時前には明るくなり、日が沈むのは夜の10時を過ぎてからだ。
グゥン!という感触と同時に、水面がモヤっと揺れた。
後ろで、こんなところに魚なんていねーよ、とばかりに退屈そうに見ていた若者たちも、大きくしなるロッドを見てザワつきはじめる。手前に引き寄せ、ズラリと並んだ歯を見た瞬間に急に実感が湧いた。
「パイクだ!!」
正直、その後のことはよく覚えていない。
思い出せることと言えば、膝がガクガク震えていたこと、始めて釣ったパイクという魚をうまく持てなくて苦労をしたこと、それから一緒に歩いていた当時のガールフレンドの、一緒に喜びたいけどパイクという魚のグロテスクさに絶句している表情。
思い返すと笑えてくるのだ。ずっと忘れないのだろう。それ全部を引っくるめて、この1匹なのである。
不思議なもので、1匹釣れてからは行く場所行く場所でよく釣れた。
なんかアゴがしゃくれてるパイクが釣れたこともあった。
フライ発祥の地イギリスというだけあって(?)、当時まだ劣勢のルアー釣りをロンドンの街中で楽しむ人間も少なかったのだろう。
スピナーベイト(その頃ヨーロッパではなかなか買えなかった)から特大ビッグベイトまで、なかなか日本では味わえないであろう反応の多い釣りを存分に楽しんだ。
よくも飽きずにパイクばかり釣っていたなぁと今は思うが、おかげで今ではパイクを釣る竿を作ってみたり、こんな記事を書かせてもらったり、釣りが仕事になってしまったのだから人生は分からない。
釣りと魚への想い
あえて詳しいタックルや釣り方にはほとんど言及しなかったが、ここ数年、SNSやブログなどの情報の速さや正確さは加速度的に上がり、まるで自分が体験したことだと錯覚してしまうぐらい、大抵のことがネットで調べて完結してしまうようになった。
僕自身も森本さんとの出会いで、パイクに大きく近づいたと思う。しかし僕にとっては、初めてのパイクに辿り着くための過程が非常に大切だったように思う。
なんでもかんでも質問したり、他力本願で1匹に辿り着くことはしたくなかった。だからこそ今も忘れられない1匹となり、パイクが大好きになったのだろう。
僕は苦労していると思われるのが好きじゃないので、どこかカッコつけて簡単に釣れたように話してしまうけど、他にも大変なことが色々あったなぁと思う。
競技的に考えてしまうと釣りは情報戦かもしれない。しかし、忘れられない初めての1匹に出会うために必要なのは、情報でも人脈でもお金でもなく、「想い」だと思っている。
その想いが大きく、澄んでいれば、目的の魚を手にしたとき、足が震えるぐらいの感動を得られるのではないか。
どんなに大きな魚を釣っても、誰もが羨む場所に行っても、それに本当に満足するために必要なのは本人の想いだ。そんな同じ想いを持った仲間に囲まれ、大好きな釣りをして、釣りたい魚を追い掛ける今は本当に幸せだ。
ヨーロッパにはカナルが縦横無尽に伸びる街が沢山ある。全体的に物価が高いのが辛いところだが、南米アマゾンやアジアのジャングルの秘境などに比べると、ヨーロッパの釣りは誰でも楽しみやすい整った環境である事が多い。ストリートフィッシングなんて言葉あるぐらいだ。
わざわざ釣りをするためだけに、とはいかないかもしれないが、出張や旅行の時に少しでも余裕があれば、パックロッドを片手に旅に出てみてほしい。
意外と、文字どおりその足元に、人生を変えてしまうような魚との出会いが待っているかもしれない。