深海底の‟トーピード” シビレエイを食べる
深海底の‟トーピード” シビレエイを食べる
ある日、魚好きの友人から「漁師さんに変なエイを貰った。正体を知りたい。とりあえず渡すから、同定できたら好きにしていいよ。」という連絡が入った。
エイか。エイは好きだ。獲るのも見るのも食べるのも。喜んで引き受けることにした。
――後日、友人から引き取った問題のエイはゴミ袋の中でガチガチに凍っていた。
深海底曳き漁で獲られたものらしく、近海で頻繁に見られるアカエイともトビエイ類、ガンギエイの類とも違うという。
深海のエイ…!ワクワクしながら待つこと数時間。しっかり解凍された頃合いでゴミ袋の口を解く。
デュロン!と袋から滑り出た物体は、その昔流行った玩具「スライム」のように流し場に広がった。
エイと聞いてまず警戒すべき尻尾の毒針は見当たらない。代わりにそこにはサメのような尾鰭と二枚の背鰭が付いている。そしてその先に繋がる真ん丸なボディーは、異様にプルプルしている。ゼリーでも詰まっているようだ。
…あ。このエイ、本で見たことある。
やった!シビレエイだ!しかも、大型のヤマトシビレエイ(Torpedo tokionis)という種だ!
このサメっぽい下半身と、円い体は間違いなくシビレエイ!しかも、大型になるヤマトシビレエイだ。
シビレエイの類と言えば、強力な電流を放つことで有名な発電魚である。この電流で外敵から身を守り、このヤマトシビレエイに至ってはエサを失神させて捕らえることもあるという。
ヤマトシビレエイ属はラテン語で「麻痺」を意味するTorpedoという属名をあてがわれている。魚雷を英語でトーピードというが、その語源こそがこのシビレエイというわけである。…もっとも、本家Torpedoの作動様式は魚雷というよりもむしろ地雷に近いが。
しかしデカいな!生前は強烈な電撃で海底をブイブイ言わせていたのだろう。…ぜひいつか生きている個体を相手に、これと同じ構図の写真を撮ってみたい。果たしてどんな変顔で写るハメになるのか。
僕は小学生の頃からずっと、シビレエイを食べたいと思い続けていたのだ。
夢は見続けていればいつか叶うと言うが、今回のように自分で一切の努力をすることなく、フルオートで叶ってしまうこともあるのだな。人生なんて甘いもんだぜ。
なぜ小学生時代の僕がシビレエイなんぞを食べたいと思ったか。それは当時愛読していた「白土三平 フィールド・ノート 風の味」という房総の山海の幸を紹介する本に”しびれなます”なるシビレエイを使用した漁師料理が載っていたからである。
まず、その写真が美味そうだった。琥珀色の三杯酢(だと思う)に沈むシビレエイの身は澄んだ白身で、当時の僕は「なんて美味そうなんだ!漁師さんと白土三平はズルい!」とよだれを垂らしながら逆恨みに近いジェラシーを覚えていた。
そして、そんな単純な食欲とは別の知的好奇心もあった。電気を放つエイが、普通の魚と同じ味・食感だとはとても思えない。
「どんな味なんだ、しびれなます!」
…二十年越しの疑問への答えが今日、思いがけず、僕の舌上に届くことになったのだ。
流し台がほぼ占領されてしまった。デカい!というか広い!エイは筋肉質なものが多いが、こちらはやたらとプルプルしており、水分が多い印象を受ける。
だが、捌いてしまう前に外部の形態を観察しておこう。
サメのような背鰭。これが二つある点がヤマトシビレエイを近縁の他種から見分けるポイントでもある。
エイ類には尾鰭を退化させているものが多いが、本種はしっかりと扇形にその形をとどめている。発電器官を持ったせいで胸鰭を動かす筋肉が少ないため、尾鰭で遊泳力を補う必要があるのかもしれない。
二本の脚のように見えるものは交尾時に用いる交接器(クラスパー)。つまり、この個体は雄である。
…まあ、個性的な魚ではあるが、特にこれと言って「電気を出しそう感」のあるパーツは見当たらない。
ならば秘密は体内にあるはず。ならば次は皮を剥いでみよう。
スルスル剥ける!楽しい!皮はこのサイズのエイにしてはかなり薄くてしなやかだ。
皮をすべて剥がれたヤマトシビレエイ。
背にしっかりと身が付いている。これなら下半身をしっかりくねらせて泳ぐことができそうだ。
丸裸になったヤマトシビレエイを見て、すぐに二点の特徴に気付いた。
まず、背というか腰のあたりに大きく膨らんだ筋肉がたっぷりついているのが目につく。エイ類の多くは両サイドに広がった大きな胸鰭を波打たせて泳ぐのだが、この肉付きを見る限りシビレエイはかなり積極的に尾を振って推進力を得ているらしい。この仮説は大きな尾鰭からも支持されるだろう。
では胸鰭はどうなっているのか。ここにもう一つの、より重要な特徴があったのだ。
体の両脇、胸鰭の付け根に見慣れない組織がある。
一見すると色合いだけは周囲の筋肉と変わらないのだが、よくよく見ると六角形に細かく区切られている。ウユニ塩湖だ!皮膚の下にウユニ塩湖が広がっているぞ!
尾の肉、背の肉、胸鰭と可食部を外していくこの状態を見たら、魚だとは思えない人がほとんどなのではないか。
いよいよ胴体と発電器官を残すのみとなった状態。こう見ると、かなりのスペースを「発電所」に割り当てていることが分かる。
そう、この六角形のセルで細かく区切られた組織こそがシビレエイのシビレエイたる所以である電気を作り出す器官なのである。
これは筋肉が変化したものであるらしいが、もはや体のパーツを動かすためのそれとはまったく見た目も触感も違っている。異様に水っぽく、締まりがない。そう、あのプルプルした感触の正体はこの発電器官だったのだ。
発電部はグニグニとして切りにくい。また、切っても水分が多いせいかテロッとだらしなく重力に負ける。魚肉というより生レバーに近い印象だ。
発電部と胸鰭、筋肉を三杯酢で和え、小口切りにしたネギを添えれば、夢に見た「しびれなます」の完成である。
これが「しびれなます」
まずは胸鰭と筋肉に箸をつける。
この胸鰭の触感が良かった!
おいしい!夢が叶った!
…美味い!いずれもサメやエイの類にありがちなアンモニア臭さやクセが無く、とても食べやすい。特に鰭は歯ごたえも良い。擬音で表すと「ギニ…、グニ…、ポキ…、コリ…、グニ…。」といった感じか。かなり粘り強いコシがあるのだ。
なるほど、これは良い。しびれなますは幼い頃の僕の期待を裏切らなかった。…味の良し悪しに関してはね。だが本番はこれから。まだ肝心要の発電器官を食べていない。
発電器官のなます。鶏皮のようにも見えるが…。
スライミーな発電器官をつまみ上げ、恐る恐る口へ運ぶ。まさか、まさかとは思うが、この期に及んで舌の上で発電したりはするまいな?ありえない話だが、ほんの少し警戒してしまう。
思い切って舌に乗せると、三杯酢の優しい酸味だけが感じられる。痺れはしない。安心して噛みしめる。
ん~、微妙だな!
…ひたすらブニュブニュとしていて、噛んでも噛んでも噛み切れない。無くならない。なるほど、魚の筋肉の触感ではない。コリコリ感の無いナマコ、という感じである。
旨味もさほど感じられず、あまりたくさん食べたいと思えるものではないが、ある種の珍味とは言えそうだ。「おいしい!」ではなく「おもしろい!」と評価してあげたい。
さて、痺れなますにはいろいろな意味で満足したが、せっかくなので他の料理も作ってみよう。
もう一品作るとすれば、やはりエイ料理の定番であるこれだろう。
シビレエイのあら煮
煮つけである。胴体に残ったわずかな肉がもったいなくて試したメニューなのだが、これがとても美味かった。特に背の肉!淡泊ながら上品な味わいで、舌の上でふわりと柔らかくほどける。個人的にはなますも好みだったが、万人受けという点ではこちらに軍配が上がるのではないだろうか。
これは良い。今後、もしまたシビレエイが手に入ったら、身と鰭を外した「アラ」はやはりこうして煮つけようと思う。
やわらかくて美味い!エイ類全体の中でも割と上位に入るのでは。
…ちなみに、発電器官もちょっとだけ、しゃぶしゃぶする程度に煮てみた。
発電器官の煮つけ。こうして見ると、この器官は六角柱の組織の集合体だったことが分かる。食感は悪い意味でトロトロ。
…加熱した発電器官は異様なほど軟らかく、緩くなっていた。箸でつかむとトロッと崩れ、どうにか口に放り込むと舌に乗せた瞬間に溶け去る。
「舌の上でとろける!」と書くと素晴らしく美味そうに思われるかもしれないが、これは脂を含まない、ただひたすら水っぽいだけの「トロトロ」感なのだ。あまり美味しいと感じられるものでもない。
しかし、さっと茹でただけでこの有様なのだから、しっかり煮込もうものならあっという間に煮汁の中へ溶け消えてしまうのではないか。
うーん、シビレエイの発電器官を美味しく食べる方法は果たして存在するのだろうか。
まだまだ冷凍庫に切り身が残っているので、調理法を研究しながら少しずつ消費していこうと思う。
生でも加熱してもダメだったのだから、次はとりあえず干して水分を飛ばしてみようか。
海底のTorpedoはまだまだ僕の好奇心を刺激してくれそうだ。