虫屋の憧れ「ツシマカブリモドキ」を探して (長崎県・対馬)
虫屋の憧れ「ツシマカブリモドキ」を探して (長崎県・対馬)
8月の初旬の週末、僕は対馬へ渡った。
大陸と九州の中間に位置するこの島ならでは生物たちを求めて。
その数多ある固有種のひとつが本日紹介する「ツシマカブリモドキ(Damaster fruhstorferi)」である。
昆虫愛好家、俗に言う「虫屋」たちにとっては古くから憧れのターゲットとなっている。
ツシマカブリモドキは世界でもこの対馬にしか生息していない大型のオサムシである。オサムシ類は地表徘徊性の肉食甲虫。大型で美しいものが多く、収集家・愛好家がとても多い。蝶、クワガタ、カミキリムシに次ぐ昆虫界のスター格なのだ。
さらにカブリモドキ類で唯一の国産種とあって、古くから一部の界隈の熱い視線を集めてきた。
そして何より、固有種だとかレアだとか、そういう肩書き以前に「カッコよくて美しい」という最も讃えるべき特徴を持っている。
ーー長崎空港から対馬やまねこ空港へのフライト中、僕は初めて図鑑でその姿を見たときの興奮を思い出していた。まだ小学生だった頃の僕は「こんなのが日本に、ていうか自分の住んでる長崎にいるのか!」と興奮したものだった。対馬の空の玄関口、対馬やまねこ空港。上手く言えないが、外に出た瞬間から九州本土とは空気が違う。もちろん南西諸島とも別。
そして20年以上の時を経て、いよいよ対馬に降り立った。ついに自分の手で捕獲に挑む時が来たのだ。
なぜ20年もかかったのかというと、地元から近いがゆえに「対馬はまあ、行こうと思えばいつでも行けるし!それなら南西諸島に行こ!」という舐めた考えを持ち続けていたためである。
今回の訪島も、実はかなり突発的なものであった。
帰省中に明日、対馬行こう!」と思い立ち、航空券もレンタカーも前夜に手配する有様だったのだ。
タイムリミットは24時間足らず!
この、プロローグからして行き当たりばったりな捜索行には、当然ながらいくつも問題があった。まず、そもそも何の情報も集めていない。そのくせに、カブリモドキ以外にも見たい生物がいっぱいいる。宿も予約していない。
そして何より、最大の難点は島に滞在できる時間が24時間足らずしかないことだった。朝鮮半島は目と鼻の先。韓国人観光客も多いようで、島中にハングルが。
無計画ぶりと時間のやりくりの下手さだけが原因ではない。対馬の生物たちが素敵すぎるのもいけないのだ。
対馬にはツシマヤマネコをはじめ、爬虫類にしても両生類にしても魅力的な種が多い。昆虫だけに限定しても、カブリモドキ以外にツシマヒメオサムシ(固有亜種)、キンオニクワガタ(固有種)、ツシマヒラタクワガタ(固有亜種)、ヒメダイコクコガネ(固有種)、ツシマオオカメムシ(固有種)など、見たいものが多すぎる。
対馬の生物といえばツシマヤマネコ。交通事故による死傷が相次いでいるため、林道脇には注意喚起の看板があちらこちらに。ちなみにライトが当たると目が光る。
これだけ誘惑が盛り沢山だと、時間が限られた中で欲望の赴くままに動くことは危険である。確実に虻蜂取らずになるだろう。
というわけで一応、最低限の計画を立てることにした。
まず、昆虫に関しては断腸の思いで狙いをカブリモドキのみに絞る。他の虫たちはカブリモドキ捜索の過程における偶然の出会いに期待しよう。見られなかった種に関してはまた次の帰省時にチャレンジだ。
また、採集方法はトラップ方式を採用する。ツシマカブリモドキは夜行性なので、日中の内にポイントを見定めて夕刻にトラップを設置、翌朝に見回るという形だ。
夜間は爬虫・両生類探しと車中での仮眠に充てる。対馬にはチョウセンヤマアカガエルやツシマアカガエルをはじめ、ツシママムシやツシマサンショウウオなど日本ではここでしか見られない両生類・爬虫類も生息している。昆虫だけ見て帰るのはもったいない。
ひたすらコップを埋めろ!
ツシマカブリモドキは他のオサムシやマイマイカブリと同様、薄暗い林床に多いと聞く。
めぼしい森林を探してレンタカーを走らせ始めるが、いきなり困ったことになった。
…想像以上に緑が豊かすぎる。どこもかしこもが好条件に見えてしまい、トラップの設置ポイントを決められないのだ。
とりあえず対馬観光も兼ねて車を南北へ走らせるが、「ここもいいな…。あそこも良さそうだな…。」の繰り返しで、そうこうしている間に陽は陰り始めている。結局、「…どこでもいいかな!」という結論に至った。
とりあえず生物が多そうで、かつ場所を覚えやすい、さらには駐車場が近いというだけの理由で、とある雑木林とスギ林の境界に狙いを定めた。
ところでトラップというと仰々しいが、実際は非常にシンプルな装置である。
使用するアイテムはシャベルと行楽用プラコップのみ。林床の適当な場所にコップを埋めていくだけ。
「ピットホールトラップ」と呼ばれるこの仕掛けは、オサムシ類をはじめとする地上徘徊性の昆虫を捕獲する上で非常に効率的でポピュラーなものである。うっかりプラコップの落とし穴に飛び込んでしまった虫たちはツルツルした内壁を登ることができず途方に暮れるほかなくなるのだ。いかにもオサムシがたくさんいそうな薄暗い林床。見立てが正しければ採れるはず…?
ピットホールトラップはコップ内が空っぽでも、どういう理屈か不思議と虫は採れる。
しかし、今回は一発勝負なので、より確率を高めるためにコップの底へエサを入れておくことにした。
オサムシ類は基本的に肉食性だが、酢や酒、樹液や腐りかけの果実など、発酵臭を放つものであれば植物質のものにも好んで集まる。そこでチョイスしたのが臭気の不快感が少なく、入手、清掃が容易なリンゴ酢である。
これを虫が溺れない程度に、ほんの少量だけプラコップに垂らしていく。
仕掛けたトラップは計30個。あとは夜の林道を流しながら、路上を這っている爬虫類や昆虫を観察しては休憩を繰り返し、朝を待つ。僕の夢を注いだ30個のコップ。
翌朝7時。期待と不安を胸に再び林を訪れると、駐車場に一頭のイノシシが佇んでいた。向こうとしても想定外の出会いだったようで、「ポヒッ」と間の抜けた鳴き声を上げて走り去っていく。
イノシシがいるということは、トラップを荒らされているかも…。早足でトラップの元へ向かう。
まず一つ目のコップを覗き込むと、大粒の黒い影が蠢いている。
マイマイカブリ?いや、どうもシルエットが違う。オオオサムシ?いや、こちらは対馬にはいないはず。
…じゃあ。まさか。一発目で本命が!
紫銅色にさらさらと輝く前胸、そして緑金色に縁取られた鞘翅に並ぶ畝状の隆起…。
ツシマカブリモドキだけが持つ特徴的な容姿は、他に取り違えようもあるまい。
あまりに呆気ない、フルスピードの出会い。
この手の昆虫が放つ眩い美しさは、日の下でなければ味わえない。残り29個のトラップの存在を忘れ、一目散にエントリーした道路脇へとカブリモドキを持ち出す。
なるほど、普通のオサムシよりもマイマイカブリに近い印象である。ああ綺麗だ。ああかっこいい。
舐めるように観察したあと、カブリモドキは下生えの茂みへ逃がしてやった。いやー満足だ。前情報なしでも、一晩でなんとかなるものだな。
そういえば、まだ最初の一個しかトラップを確認していなかったことを思い出す。他のトラップにもカブリモドキがかかっているかもしれない。あるいは他の昆虫が。
二つ目のトラップを覗くと…。いた。またツシマカブリモドキがコップの底に落ちている。泥とリンゴ酢を綺麗に洗ってあげてからリリース。
なんだ、おい。2個連続だぞ。この調子だと、ものすごい数が採れてしまうんじゃないか?
凄まじい予感に襲われたが、残念ながらそれは杞憂だった。良かったのは幸先だけで、不思議なことに残りの28個のトラップには一匹のツシマカブリモドキも入ってはいなかったのだ。
「実は危なかったのね…。」
嫌な汗がうなじを伝った。
ちなみに、他のトラップも空だったわけではない。ほとんどのコップにヒメオサムシの対馬産亜種であるツシマオサムシ(Carabus japonicus tsushimae)が入っていた。
こちらは本当にうじゃうじゃいるらしい。
ツシマカブリモドキモドキに比べるとやや地味だしふた回りほども小型だが、それでも紫がかった同色の身体は見応えがある。「ついで」で見るには贅沢すぎるほど良い虫だ。
そんなこんなで、僕の弾丸対馬遠征はギリギリ成功に終わった。
とはいえ、あまりに急ぎ足すぎた。対馬でしか会えない他の昆虫たちにも挨拶するつもりだったのに。
そう遠くない日に、僕はまた対馬の地土を踏むのだろう。心残りを晴らすために。
そしてもう一度、陽の下で輝くツシマカブリモドキの美しさを噛みしめるために。