ワシントン条約とアジアアロワナ
ワシントン条約とアジアアロワナ
アジアアロワナについて解説してきた当コラムも今回で三回目の連載を迎えました。
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みなさんは「ワシントン条約」という国際条約をご存知でしょうか。
ワシントン条約はCITES(サイテス)とも呼ばれており、生き物好きの皆様はいずれかの名称で一度は耳にしたことがあるかもしれませんね。
今回はアジアアロワナとは切っても切れないこの条約について解説していきます。
・ワシントン条約に記載されている生き物たち
まずは経済産業省がHPで公開しているワシントン条約を原文のまま紹介します。
非常に難しく書いてありますが、これをかみ砕いて言い換えると、
「貴重な動植物の行き過ぎた『国際取引』を規制して、絶滅から守ろう!」ということです。
まず、上記のワシントン条約原文中でポイントとなるのが『国際取引』を規制しているという点です。
その生き物が生息する国内での捕獲、売買に関して、ワシントン条約は効力を持ちません。
国内法で対象の生き物の捕獲や売買を禁止していなければ、その国の中で売っても釣っても獲っても法的な問題は無いわけです。
ワシントン条約が野生動物を守るための条約だ!ということはご存知の方が多くいらっしゃるかと思いますが、この点は意外と知られていないかと思います。
事例1:メコンオオナマズ(付属書1)
まずは具体的な生き物を例にワシントン条約の上記の点について触れていきましょう、海外で釣りをする人たちにはすっかりメジャーとなった感じのある、タイランド釣り堀の人気魚種、メコンオオナマズ。
実は上の写真で僕が抱きかかえているこの「メコンオオナマズ」という魚もワシントン条約の附属書Iに記載されている生き物なのです。
ワシントン条約で規制されているこの魚が、世界中からやってきた釣り人に毎日釣り上げられているのです。
詳しくは後述しますが、附属書Iというのはワシントン条約の中でも最も厳しい規制が必要とみなされている区分です。
附属書Iに分類される動植物は生体はもちろんのこと、死んだ体の一部(正確に言えばDNA)でさえも特別な許可がなければ商業的取引が認められていません。絶滅の危機に瀕する動植物の存続のための学術目的の輸入のみ認められています。
地元民や観光客たちがレクリエーション目的で何気なく釣っているこの魚が国際社会ではとても厳重に扱われているということ、あるいは言い換えれば、そんな貴重な魚が毎日のように釣り人たちを楽しませているという事実に驚くのではないでしょうか。
ワシントン条約が国内取引に原則として法的効力を持たないことを示す、格好の事例と言えるでしょう。
事例2:マレーガビアル(付属書Ⅰ)
さらにもう一種、ワシントン条約の附属書Iに記載されている生き物を紹介します。
マレーガビアル(ガビアルモドキ)という東南アジア産のワニの一種です。この写真の個体は紅龍が棲む水系で僕自身が捕獲したもので(もちろん持ち帰らずリリースしていますよ)、個体数は2500匹以下と言われている大変貴重なワニです。
このワニが激減した理由は「ワニ革」目的の乱獲にあります。ワニ革は高級なバッグや財布などに重宝される素材です。高価なワニ革製品を買い求めるのは海を越えた先の先進国ですから、その昔に多くのマレーガビアルが乱獲され、そうした国へと輸出されていきました。
こうした事態を抑制、防止するためにワシントン条約によって国際取引の制限がかけられたわけです。
生体だけでなく、体の一部や死骸の商業取引を同時に禁じているのも、マレーガビアルのように「加工品」に価値があるために乱獲された生き物がいるからなのです。
・ペットショップに並んだアジアアロワナは特例!?
前章ではメコンオオナマズとマレーガビアルを例にワシントン条約の附属書Iについて解説してきました。ここで主役のアジアアロワナに話を戻しましょう。
アジアアロワナは、メコンオオナマズやマレーガビアルと同じくCITESの附属書Ⅰに掲載されています。
今更ですがワシントン条約は附属書IIIが最も規制レベルが低く、附属書IIになるとより強い規制が敷かれます。
そして附属書Iは最も厳しく国際取引を制限されます。言い換えると附属書Iに記載されている動植物は絶滅の危機が目前に迫っているということです。
附属書Iに関して、まずは「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」の第2条から附属書Iに指定される動物の「基本的原則」を見てみましょう。
一見すると堅苦しい文章にも見えますが、書いてあることは単純です。
「附属書Iに記載された動植物は絶滅の危機が目前に迫っているから、取引に関して特に厳重に規制しますよ!」ということです。
それほど附属書Iに分類される動植物は貴重に扱われているのですね。
しかし、この基本原則を読むと、附属書Iに記載されているはずのアジアアロワナの現状に少し違和感を覚えます。現在、日本各地の観賞魚店で多数のアジアアロワナが販売されているではないですか。
むしろ熱帯魚の王様とあだ名されるほどポピュラーな存在です。これって思いっきり商業的取引ですよね。
アジアアロワナを海外から輸入して売っている、これが商業的取引でなければ、一体どのような行為が商業的取引にあたるというのでしょうか。
――この矛盾を解決するカギは基本原則の中にある「取引が認められるのは例外的な場合に限る」という一文にあります。
つまり日本で売られているアジアアロワナはすべて「例外的」と認められた個体ということです。
では、果たしてどのようなケースが「例外的」なのでしょうか。
ここで経済産業省がHPで公開している公式な回答を見てみましょう。
ワシントン条約では、附属書Ⅰ掲載種の動植物等は絶滅のおそれがあるため、原則として商業取引が禁止されています。しかしながら、以下のような一定の要件を満たすものは例外として、限定的に商業取引を行うことが可能となっています。
・ワシントン条約発効前(最初に附属書に掲載された日付より前)に野生から採取、又は人工的に繁殖させた動植物等(CITES 輸出許可書において、由来を示すコード(Source code)「O」が付される)。
これまたややこしい書き方ですね…。しかし、これも要点を抜き出せば簡単なお話です。
例外的として認められるケースは
・認められた上で繁殖されたものであること
・条約適用前に採取されたものであること
この2パターンのいずれか、ということなのです。
ただし、後者の「条約適用前に採取された」パターンというのは日本で売買されているアジアアロワナに当てはまらないと言えます。
ワシントン条約に日本が署名したのは1973年4月30日、効力が発生したのはその2年後の1975年7月1日です。ワシントン条約の効力発生後、国内法を整備し日本国内で効力が発生したのはその5年後の1980年11月4日でした。
アジアアロワナの寿命は野生の状態で40年、養魚場では30年、水槽内でも15年から20年というのが通説とされています。
国際的な効力が発生した1975年から40年以上、日本国内で効力が発生した1980年から考えても36年経っているわけですから、効力発生以前に捕獲された野生個体を輸入することは現実的に不可能です。
よって日本国内で売買されているアジアアロワナは全て養殖個体ということです。
・養殖にもルールがある!
日本のアクアリウムショップで扱われているアジアアロワナは「認められた養殖個体」であるため、ワシントン条約の附属書Ⅰに記載されていても輸入、販売が出来ると前章で説明致しました。
ただ、養殖個体であれば無条件で国際取引を出来るというわけではないのです。
「認められた養殖個体」として扱うためにはルールがいくつもありますが、その中でも大きな2つのルールをご紹介致します。
ひとつめのルールは「F2以降の個体」であることです。
F2個体とは天然の親魚からみて3世代目の魚のことです。
天然魚の雄と雌を交配させ、生まれた魚はF1個体と呼ばれます。F2個体はF1個体の雄と雌を交配させた生まれた魚です。要するにF2個体とは天然個体の孫にあたる魚の事ですね。以降曾孫はF3、そのさらに子孫はF4個体と続いていきます。
このルールは元々天然の魚の乱獲を防ぐために定められたものです。
そしてもうひとつはマイクロチップを魚の体内に挿入した上で輸出しなければいけないというルールです。
合法的に輸入されている全てのアジアアロワナの体内にはマイクロチップが埋め込まれています。
このマイクロチップは輸出許可書と連動しており、いわばワシントン条約の規定をクリアした証明です。
ワシントン条約で定められたルールを満たしたアジアアロワナは晴れて輸出を許可されますが、輸入後の登録手続きは各国の国内法に基づきます。
日本の場合、アジアアロワナの飼育者は財団法人自然環境研究センターから交付される、登録票を所持しなければいけません。
ワシントン条約は天然の動植物の乱獲を防ぐための国際条約です。
しかし多くの個体群が絶滅寸前まで追いやられたアジアアロワナに関して言えば、規定に満たない養殖魚の密輸取締りが現在のワシントン条約の役割と言えます。
アジアアロワナの輸出を正式に認められたファームのみがマイクロチップを挿入することが許されていますから、認可されていないファームの輸出を阻止する効果があると言えるでしょう。
アジアアロワナ養殖ブーム到来中
写真に写っている紅龍はカプアス川の水を直接引いている養殖場の個体です。
この養殖場は「ザ・ヘンリー」や「ダイナミックカプアス」のように日本の愛好家たちに名の知れ渡った様な有名なファームではありません。カプアス川沿いにある名前も知られていない小さな村の養殖場です。
この養殖場の管理をしている村長曰く、この養殖場から3kmほど離れた湖でも10年前にアロワナが目撃されたといいます。ただインドネシア国内法により、アジアアロワナ漁は認められておらず、獲れたとしても処罰されるため、養殖業に勤しんでいるとのことです。
餌はゴキブリが一番いいといいます。稚魚のうちは屋内の水槽で育て、ある程度成長した頃に写真の養殖池に移すそうです。
ちなみにこの養殖場は認可されておらず、輸出に必要なマイクロチップを挿入する権利を持ちわせていません。
こういったファームはもちろん国際取引が許されていないわけですから、海外の熱帯魚を扱う問屋に育てた魚を売ることが出来ないわけです。
では、育てた魚はどうするのでしょうか。
冒頭で触れたワシントン条約の大きな特徴を思い出してください。ワシントン条約は国際取引を規制していますが国内での売買にしては効力を持たないと解説しました。
こういった無認可の養殖場が魚を売る先は国内にあるマイクロチップを挿入する権利を持つ認可されたファームなのです。
売られた先の認可されたファームでマイクロチップを挿入されて海を渡り、世界中の熱帯魚屋にアロワナたちが並ぶわけですね。
紅龍が棲むカプアス川が目の前に流れているような環境では、比較的簡単に養殖をおこなうことができます。認可されたファームに魚を売れば即現金収入になるので、そうした地域ではアロワナの養殖がブームが興っています。養殖に手を出していなかった村も、美味しい話を耳にして養殖にどんどん参入しているのが現実です。
この写真に写っている池についても、「つい最近掘ったところで今はまだ魚がいないけれど、これからアロワナの養殖を始めてお金を儲けるんだ」と村人は嬉しそうに話していました。
・アロワナを絶滅の危機に追い込んだ最大の原因がワシントン条約!?
ワシントン条約はご説明してきましたとおり、「商業取引による影響を受ける可能性の高い絶滅危惧生物を保護するための国際法」ですが、皮肉なことにアジアアロワナはそのワシントン条約によって、壊滅的な状況に追い込まれたと言えます。
ワシントン条約の効力が発生したことにより、原産国、本国でも捕獲禁止になったアジアアロワナは、希少性がさらに高まり、価格が急騰しました。
ワシントン条約の効力発生後、アジアアロワナの国際的なアクアリウムブームが到来し、需要も爆発的に伸びたのです。
僕は2013年に過背金龍の生息する水系に隣接したとある村を訪れました。その村でアロワナを獲って生計を立てていたという漁師に、当時のアジアアロワナ漁について話を聞くことができました。
「アジアアロワナは昔、食べるために獲っていましたよ。その当時のアロワナは1匹あたり80円(マレーシア通貨を日本円で概算)くらいでしたね。それが1980年代(ワシントン条約効力発生後)になると一匹40000円以上の値段になりました。」と漁師は語りました。
これは紅龍の棲むボルネオ島でも同じです。
インドネシアでは1979年に、インドネシアの国内法で野生アジアアロワナの捕獲が禁止されましたが、レッドアジアアロワナの乱獲が行われたのは捕獲が禁止された後の1980年代でした。インドネシアスマトラ島でも同様に1980年代、ゴールデンアジアアロワナの乱獲が行われたと言います。
ワシントン条約の効力発生後、ほぼ同時にレッドアジアアロワナ及びゴールデンアジアアロワナの生息地で乱獲が行われてしまったのです。
またこの連載のどこかで当時の乱獲の様子を知る村人へのインタビューも紹介しようと思っていますが、その内容は想像を絶するものでした。
種の絶滅を防ぐために制定されたワシントン条約が乱獲を更に助長させてしまったという事実は悲しいものですね
さて、連載の第三回目はいかがでしたでしょうか。
アジアアロワナについて解説するうえで重要となる国際条約の基本的な部分のみをサラッと解説したつもりですが、思った以上に長くなってしまいました。
さらに今回は「ワシントン条約」という名前を聞くだけでも、難しそうなテーマを取り上げましたので最後まで読んでいただけたかかどうか不安な気持ちでいっぱいです。
最後まで読んでいただいた皆様、本当にありがとうございます。そんなニッチな皆様には次回以降もさらに深いアロワナワールドをお見せしたいと考えております。