レイクトラウトのいる湖 (栃木県・中禅寺湖)
レイクトラウトのいる湖 (栃木県・中禅寺湖)
プロローグ
夢、ロマン、思い出、縁。僕にとってのレイクトラウト釣りは、まだまだ経験は浅いけれども、特別な思いの詰まった釣りだ。
解禁日から通ってもなかなか釣れずに、同行者の釣ったカッコイイ魚を何度も羨ましげに眺めた。
湖に向かう途中にシカに激突して車を壊してしまい、その年の釣りを諦めたこともあった。
…一昨年初めて手にしたレイクトラウト。まだ手が真っ赤になる程冷たい水の中で、その太い尾びれの付け根を掴んだ時の喜びは例えようのないものだった。
完全にこの魚に魅せられてしまったあの日から、僕にとっての1年は4月から始まる気さえしている。この記事が公開される時には、ひょっとしたら既に解禁直後の湖畔に立っているかもしれない。
日光・中禅寺湖、レイクトラウトを日本で釣ることが出来る唯一の湖だ。何度も挑戦してようやく釣り上げた初レイクは76cm、震えた。
奥日光との再会、レイクトラウトとの出会い
日光という場所は、実はかなり小さな頃からその響きに聞き覚えのあるところだった。
お寺や神社といった歴史や趣を感じさせるたくさんのランドマークや、美しい山の緑と水辺に彩られた日光の自然は国立公園にも指定され、国内外から訪れるたくさんの観光客を魅了し続ける。
小学校の修学旅行で訪れた日光の名所の数々も覚えているけど、何よりはっきりと覚えているのは泊まった旅館の目の前に広がる眩しく大きな湖と、養魚場を見学した時に見た美しいマス達(トラウト)の姿だった。
修学旅行で
焼きたてのニジマスを頬張る筆者、写真右
当時書いた謎の表紙
以前にMonsters Pro Shopに寄稿させてもらった記事もぜひ読んで欲しいのだが、イギリスで生活している間僕はパイクという魚に取り憑かれたように釣りをしていて、時々ビザの更新で帰国する時の楽しみといえば友人たちに久しぶりに会うことと、もっぱら釣具屋巡りをすることだった。
正直その頃日本のどの釣りの情報を見ても、パイク熱に犯されていた僕はそのほとんどを気にも留めなかったのだが、そんな中、幼馴染が働き始めたあるアウトドアショップに立ち寄った時に見たポップの印象は強烈だった。
今も実際に貼られているこのポップが全ての始まりだった。
まだ雪の残る湖畔に、まるでパイクの様な巨大な体と体色、ギザギサの歯に大きなヒレを持ったトラウトを抱く釣り人の姿。
WILD-1というお店が中禅寺湖レイクトラウトに精通していることを知り、入り浸る様になってしまうのはまだ何年も先のことで、まさかヨーロッパ、栃木、パイク、トラウトをキーワードにどんどんのめり込んでしまうとは、この時はまだ知る由もなかった。
聖地 中禅寺湖
中禅寺湖は約2万年前に男体山の噴火によって出来た湖で、人造湖を除いて日本で最も標高の高い場所にある湖でもある。
もともと中禅寺湖に魚は棲んでいなかったとされ、『日光鱒釣紳士物語(1999)』によれば、初めてこの湖に魚が放たれたのは明治6年(1887年)のことらしい。
ある村の名主が、華厳の滝から流れ出す大谷川で獲れた約2300匹のイワナを、まだいろは坂もなく断崖絶壁の斜面を一人なんども登り運んだという。
そして明治中期になると、中禅寺湖の湖畔には欧米各国の大使館別荘が次々に建てられ、外交官やその家族たちが訪れるリゾート地として名を馳せた。
シーズン序盤はまだ雪が深く残るところもある
人間の暮らしに変化が生まれ、湖の自然にも変化が訪れる。
徐々に西洋の文化の影響を受け、日本人で初めてのフライフィッシングのガイドも中禅寺湖のある奥日光で誕生した。それが今でもこの場所が西洋式マス釣り発祥の地だとかフライフィッシングの聖地と呼ばれる所以である。
誰が初めて西洋式のフライフィッシングをこの地に伝えたかは不明だそうだが、明治以後奥日光で誰よりも早くスポーツフィッシングとしての釣りを楽しんでいたのはトーマス・B・グラバーという人物らしい。
僕はそれを知ってとても驚いた。何故なら小学校の修学旅行で訪れた中禅寺湖に続き、今度は高校の修学旅行で僕は、長崎にある彼の旧邸のあったグラバー園に行ったことがあったからだ。
関東に住んでいれば修学旅行で九州・長崎を訪れるのは全く珍しいことではないのだが、勝手に縁を感じずにはいられなかった。勉強したことなんてほとんど覚えていないのに、どうしてそこだけパッと思い出せるのか本当に不思議だ。
中禅寺湖でマス釣りを楽しんだグラバー氏。並んで写るのは中禅寺湖で入漁券を売る「大島商店」店主のご先祖さま(!)
今でもベルギーやフランス大使館別荘が残る湖畔で釣りをしていると、ふとした瞬間にそのノスタルジックな雰囲気に捕まってしまうことがある。そして19世紀のヨーロッパそのままに、燕尾服やツイードジャケットに身を包んだ紳士たちが今よりもっともっと深い森に覆われた中禅寺湖で釣りをしている、そんな勝手な妄想で作られた”昔”に引き戻されたいような不思議な気分になってしまうのだ。
レイクトラウトの魅力
海外から奥日光に移入されたマス類は少なくないが、その中でも特に異色を放つ魚が件のレイクトラウト(Salvelinus namaycush)だ。
最大で1メートルを悠に超える大型のイワナの仲間で、生息する水系では食物連鎖の限りなく上位に君臨する魚である。
日本で10kgを超える様な大型のマスを狙えるのは、きっとイトウなどが遡上する北海道とこの中禅寺湖ぐらいなものだろう。
簡単とは言いたくないが、ここでは誰にでも夢のビッグフィッシュを狙えるチャンスがある。
しかし僕はこの魚の持つ魅力はサイズだけではないと思っていて、自分にとってのレイクトラウト(以下『レイク』)の釣りを少しだけ紹介したいと思う。
ヒメマス、ホンマス、ニジマスにブラウントラウト、その他にも様々な魚が中禅寺湖に放たれ、今では放流と自然繁殖の両方で湖の生態系が保たれている。
しかしカナダから運ばれてきたレイクトラウトが中禅寺湖に放たれたのは昭和41年(1966年)の1回のみで、それ以降の放流はない。
さらに非常に成長の遅いこの魚の平均寿命は約40年と言われ、きっと僕が釣ってきたレイクの中にも自分よりも年上の魚もいたと思う。さらに、1966年から今も生きている魚がいるのではないかと考える度に、僕はゾクゾクとした物を感じるのだ。
こちらを睨みつけるような大型の個体の表情
初夏に出会った美しいブラウントラウト
60cmを超えるぐらいから、老獪な顔つきになってきた魚の持つ雰囲気はミステリアスだ。
その独特の大きな眼の奥にどこか鈍い光を感じるというか、言葉ではうまく言い表せない「畏れ」を僕は感じずにいられない。
それが前述したゾクゾクに繋がるのだと思う。そして僕はこの感覚を昔からよく知っていて、今でもよく覚えている。非常に似た感覚を、ヨーロッパで釣り上げたパイクに感じていたからだ。
パイクも70年生きる個体もいると言われる長寿の魚。初めてレイクの写真をみた時「パイクみてーだな。」と、WILD-1の売り場で呟いたこともよく覚えている。こちらを見透かしたような、歳を重ねた魚が持つ独特の眼差しなのだ。
自己記録85cmのレイクトラウト
ここまで全く釣り方に触れてこなかったが、中禅寺湖ではスライドスプーン(スプーンとはルアーの一種)という釣法を軸に色々なトラウトを狙うアングラーが非常に多く、ご多聞に漏れず僕もその一人。
初めての震える1匹を運んできたルアーはM.T.レイクスというスプーンで、今も記念に部屋に飾られている。
竿先を絞り込むアタリから、あの独特のグネングネンとした重量感のあるファイト、深みから浮かび上がる真っ白いお腹には息を飲んだ。
殿堂入りし部屋に飾ってあるスプーン
その後ある大型の個体がウグイを捕食する姿を見て目から鱗だった僕は、まるでパイクでも狙う様な大げさな道具で大物を狙ったこともあった。
幸運にもすぐさまその釣りは功を奏し、ビッグベイトでレイクトラウトが釣れた時には今度は自分の経験をもって「パイクみてーだな!」と心から叫んだ。特別思い出に残った1匹だ。
条件とタイミングがぴったりと合った1匹だった。
どんなに小さくても、自分で考えたり足を使って探してたどり着いた初めてのイッピキはいつだって特別だ。後付けでもいい。今まで起きた事や、物や人との全ての出会いに意味があると信じたいものである。どんな些細なことや辛かった時間も、自分の歩いてきた道に意味があったと、無駄なことなんで何もなかったと言い聞かせて生きてきた気がする。そしてその点と点が線で繋がっていく感覚がとても幸せなのだ。
日本のスコットランド
大人になりきれないフィッシングピーターパンである僕は、夢だとかロマンだとかそんな響きにとにかく弱い。水辺に立って無心に竿を振るなんていうのは最高の現実逃避であってそこに理由なんて必要ないのだけれど、何かまた言い訳を見つけては釣り人は出掛けていく。
もう150年以上も前のこと、まだ青年だったトーマス・B・グラバーが中禅寺湖で夢中になって釣りをしている時、彼はどんなことを考えていただろうか。そもそも他人が何を考えているのかなんて誰にも分からない。しかし偶然にも彼の生まれ故郷であるスコットランドを何度か訪れたことのある僕には、それが少しだけ分かる気がする。中禅寺湖で釣りをするにつれて湧き上がってきた感情の中に「懐かしさ」があった。それは幼い頃に修学旅行で訪れたからでもなく、まさかグラバー園に行って彼の写真を見たことがあるからでもない。
釣りの合間に湖畔で淹れるコーヒーは格別
初めてスコットランドを旅行した時、僕はある湖のほとりで釣りをする少年を眺めながらミルクティーを飲んだことがあった。
隆々として冷たい岩肌と針葉樹に囲まれた透き通った湖と、橋の上から見えた魚の群れ。肌寒い、変わりやすい天気と分厚い雲は中禅寺湖のそれにとてもよく似ている。
…勝手な思い込みでも構わない。だけど、僕は彼が故郷スコットランドに思いを馳せながら釣竿を手に日光の地を訪れたと信じて疑わない。
この歴史の渦や偶然・必然を思う時、僕はいつもの大好物であるノスタルジーを感じ、ある時はそれを湖畔で淹れたコーヒーと一緒に飲み干し、ある時はそれを肴にして大好きな魚の本や日光にまつわる本に囲まれながらウィスキーを飲む。
僕にとってはそれらも含めて中禅寺湖の釣りであり、釣れなくても楽しい、実際に楽しんできた釣りが僕のレイクトラウト釣りなのだ。
こんな贅沢な時間も釣りの魅力
エピローグ
震災以降初めてヒメマスの持ち帰りが可能になる今シーズンは、きっと例年以上にたくさんの釣り人が中禅寺湖を訪れると思う。昔から湖を見てきた先輩もたくさん帰ってくるだろうし、今年初めてトライするなんて釣り人が僕の友人にも何人かいて嬉しい限りだ。
しかし悲しいことに、人が増えるとゴミの問題やマナーのトラブルも多くなるのをよく耳にする。それは仕方ないことなのだろうか?鱒釣りを愛する紳士達が伝えたスポーツフィッシングという精神は、魚を釣るということだけではない筈である。中禅寺湖は、僕が釣ったことのある場所の中でとにかくゴミの少ない場所だ。きっとそれは遠い昔から奥日光で鱒釣り史を築き上げてきた先人たちの思いが今も息づいているからに他ならない。
悠久の時を泳ぐかの様に泳ぎ去るレイクトラウト
欧米から伝えられた釣りと、遥か遠くからやってきた魚たち。そして何の因果か、僕もヨーロッパ生活を経て今は栃木に暮らしている。後付けだけど、これは必然じゃないか?と思ってしまいさえする。
かなり個人的な視点から見たノスタルジックな側面と、一緒に紹介させてもらった奥日光の歴史的な背景。
この場所と魚の持つ夢とロマンを、そしてライフスタイルとしてのカッコイイ釣りを誰かに伝えることが出来たら、僕にレイクトラウトの魅力を教えてくれた諸先輩方に少しでも恩返しが出来たと言えるかもしれない。