オーストラリアのタメトモハゼ(スネークヘッドガジョン)は虹色だった(豪州・ケアンズ)
オーストラリアのタメトモハゼ(スネークヘッドガジョン)は虹色だった(豪州・ケアンズ)
リゾート地のドブを覗く
2016年11月、僕は仕事でオーストラリアはケアンズを訪れていた。
11月のケアンズ。抜けるような青空が目に痛い。
晩秋を迎えた日本からやってきた身には、抜けるような青空と、そこから注ぐ夏の陽射しが実際以上に眩しく感じられた。半年はおあずけかと諦めていた生命の息吹にあてられてソワソワしていた。仕事中(バラエティー番組の撮影)にも関わらず、隙を見つけては茂みを覗き込んだり石をはぐったりして虫や小動物をコソコソ探して回った。
市街地から少し脇に外れた通り。こんなところで意外な出会いが。
そんな折、海岸近くの道路脇に細い水路を見つけた。幅は数十cmからせいぜい1m程度しかない。あちこちに自転車や衣類などのゴミが沈んでおり、うっすらと硫黄のような臭気が漂う。うーん…。ドブだな、これ。
うーん…。こんなところに何かいるんだろうか。
おそらく、雨季にはそれなりの水質を誇る小川となって海へと注ぐのだろう。しかし乾季にあたる現在は、そのあちこちが干上がって分断され、小さな淀みが破線を描いているといった有様だった。河口部は土砂ですっかり閉塞し、海水および海魚の侵入は滞っているようだった。
ティラピアの群れが水面に…
小型のスネークヘッド(ライギョ)類、アナバンティッドなどといった空気呼吸を行える魚しか生息していないような場所。はたしてオーストラリアにもこんな水域で生活できる魚類がいるのだろうか?わずかな期待を胸に水面を覗き込む。
…小型のナイルティラピア(Oreochromis niloticus)が水面付近を群れて漂っている。そういえば、彼らはオーストラリアにも進出しているのだった。圧倒的な環境変化への耐性から、近年は河川湖沼のみならずグレートバリアリーフでも姿を見ることができるというから感嘆するほかない。さすがに酸欠にも強く、この状況でもたくましく生きている。しかし、そんな彼らにとってもさすがにこの窮屈なドブは過酷なようで、しきりに鼻上げ(水面で口をパクパクさせる行動)を行なっている。
ん?ティラピアじゃない魚の姿も…。なんだこれ。
「うわ、ティラピアでもギリギリか…。じゃあ他の魚は絶望的だな…。」
と見切りをつけようとした瞬間。岸際に茂る草の陰に妙な魚影が浮かんでいるのに気づいた。
「スネークヘッド…?」
派手な小型スネークヘッドのような…
大きさは30cm足らず。ミサイルのような流線型の魚体はところどころが橙色に彩られている。まさにレインボースネークヘッドなどの小型ライギョを想起させる姿であった。
しかし、本来オセアニアにスネークヘッドの類は分布していないはず。じゃあアレかな?ティラピアと同じく外国から持ち込まれたものが繁殖しているのかな?脳裏に疑問符を浮かべながら魚体を凝視していると、あることに気づいた。
「あっ。背鰭が二つある!」
これは海産魚(アジとか)や両側回遊魚(ハゼ類とか)、二次淡水魚(レインボーフィッシュとか)に多く見られる特徴だ。
一次淡水魚であるスネークヘッドならば背鰭は肩口から尾の付け根にかけて大きなものが一枚のみ。
「これハゼだ!タメトモハゼだ!」
タメトモハゼ⁉︎
タメトモハゼ(Ophieleotris sp.)といえば国内でも南西諸島に分布するカワアナゴ科に属すハゼ。僕もかつてこの魚をどうにか捕まえようと沖縄本島で奔走していたものだ。
しかし、このドブのタメトモハゼはどこか様子がおかしい。
雰囲気が沖縄のタメトモとなんとなく異なっているのだ。
まず、色合いが濃い。沖縄のタメトモハゼは黄色みが強いが、こちらはオレンジ色の主張が強い。
そして、日本ではタメトモハゼをここまで酷い環境で見かけたことはない。
もしかしたら別種なのではないか。
ああ、捕まえて確認したい!!
そう考えた瞬間、こちらの殺気が伝わったのか謎のタメトモXは弾丸のように茂みの奥へ消えていった。
捕獲!
翌日、仕事を終えてホテルへ着いた僕はすぐに部屋を飛び出し、ドブへ向かった。タメトモハゼの仲間は素早い上に身のこなしが軽い(ジャンプでタモ網を飛び越える)ので、網で掬うより釣りで捕獲する方が得策と判断し、釣竿を持ち出した。釣り糸の先に結ばれているのはたまたまバックパック内に紛れ込んでいたカニ型のルアーである。これでダメなら、その時はミミズでも掘ろう。
まず、昨日タメトモXを見かけたポイントの前後50mほどの範囲を見て回る。…いる。いるいる!いるいるいるいる!!いや、いすぎ!
ちゃんと観察すると、10匹や20匹ではきかない数のハゼたちが水面に浮かんでいる。ものすごい密度…!
沖縄の常識ではありえない光景に、驚きを隠せない。夢でも見ているようだ。
何はともあれ、これだけの数がひしめきあっているのなら簡単に釣り上げられそうだ。
…が、釣竿を差し出した瞬間に逃げる、逃げる、逃げる…。ぬぼーっと浮いているようでいて、なかなか警戒心が強い。
脅かさないよう、数m離れた位置からルアーを投げ込んでやらないといけないようだ。
浅瀬で鰭を休めているハゼの鼻先めがけて2センチほどのルアーを投げた…つもりが、暴投。標的から1mほど離れた、ほとんど水の無いゴミ溜まりへボテッと落ちてしまった。
マズい。もう一度投げなおさなければとリールを巻き始めた途端、タメトモハゼが半身を水上に出しながら、まるでマッドスキッパーのように浅瀬を猛進し始めた。
「えっ、こんなに豪快な魚だっけ⁉︎」と思うと同時に、口中へルアーが仕舞われていく様が見えた。
「釣れた!…うお、なんだこの色!?」
極彩色!
虹色!
宙を舞った魚は虹色に煌めいていた。
橙、朱、空色、浅葱色、麦藁色…。褐色の地肌に散る、とりどりの色。
釣り上げてみるまでわからなかった。こんなに綺麗な魚だったとは。
そして、やはり日本で見られるタメトモハゼとはかなり異なる色彩である。南西諸島でタメトモハゼとともに見られる近縁種、ゴシキタメトモハゼかとも考えたが、そちらとも特徴が一致しない。
沖縄本島産のタメトモハゼ。カラーパターンが大きく異なる。
素晴らしい色合い
体型や模様のパターンは酷似しているが、どちらでもないのだ。ウェブと書籍からケアンズの淡水魚について調べてみると、これはという魚に行き当たった。
「スネークヘッドガジョン」若干の意訳を交えるなら、「ライギョタメトモハゼ」というニュアンスの名である。
スネークヘッドガジョンの名は観賞魚としての通り名(インボイスネーム)に過ぎないのかもしれないが、やはりこの種を小型スネークヘッドに見紛うたのは自分だけではないようだ。ちょっと安心。
いつまでも眺めていたい美しさ。
腹鰭や
臀鰭を縁取る深い橙色が一番のチャームポイントか。
地味な個体も釣れた。雌雄差なのか、成熟の程度による差なのか。それでも鰭の縁は鮮やかなオレンジ色。
このドブにいたのはせいぜい1時間弱といったところだろう。だが、この束の間に僕のタメトモハゼ観はぐるりと変わってしまった。
やんばるの清流の魚、ではなく淀んだドブの魚に。ボラみたいなハゼ、からライギョみたいなハゼに。俊敏可憐な魚、から貪欲至極な魚に。原色に塗られたハゼ、から虹色を纏うハゼに。南西諸島の魚、ではなくインド洋沿岸の魚に。そして、おそらくはとても奥の深い分類群であることを思い知った。
その後も次々に釣れる
きっと、雨季にこのドブを訪れれば、もっと色々な魚に出会えるだろう。きっと、日本のとはちょっと違うホシマダラハゼや日本のとはちょっと違うヨシノボリ、日本のとはちょっと違うオオウナギなんかがひしめき合っているに違いない。
どの個体もそれぞれ少しずつ模様や色合いが異なる。しつこく8匹も釣ってしまった。
あー、クイーンズランド州の、ケアンズの片隅の、細い細いドブ一本でこの奥深さ。大河や海原にまで目を向け始めたら、オーストラリアの魚たちを熟知するのにどれほどの時間が掛かるのだろうか。自然の誇る底知れなさに、心地よく気が遠くなるのを感じた。
だからせめてまた、このドブだけはいつか再訪し、知り尽くせればと思う。
帰り際、ホテルの玄関でヒメカブトの死骸を見つけた。次に訪れる時はぜひ元気な姿を見たいものだ。