テキサスに巨大アリゲーターガーを求めて
テキサスに巨大アリゲーターガーを求めて
プロローグ
以前、パプアニューギニアへ一緒に行った友人から「こんなのどう?」と写真付きのメールが送られてきた。
「………。」
はっと気づくと私は、口を開けたまま画面に額がつくほどパソコンに近寄っていた。
魚を求めた旅をして12年。世界の魚のほとんどの目安がついていたと思っていた。しかし……、なんだこれは?なんなんだこれは!?
「行きたい」ではなく「行く」と決まる瞬間はそう多くはない。
飲んでいたビールを置き、すぐにパソコンで現地ガイドを探しメールをした。
意外にも即日に返信がきた。
「一年以上先まで予約がいっぱいです。来年のシーズンにこちらから連絡します。」と。
一年先まで予約いっぱいってあるか、普通?
もう一度メール。
「日本人はあなた方が思うより、もっと休みが少なく、もっと労働時間が長いのです。連休なぞ滅多に取れるものではありませんからとにかくどこか日にち空けて下さい。」
「とにかく来年まで待ってください。」とまたつれない返事。
ここで引かない。
「私は今年結婚します。結婚休暇でそこを訪れたい。私にとってはこんな機会は滅多にないのです。日にち下さい。プリーズ。」
「わかりました。10月5~7日の私の休暇をあなたにプレゼントしましょう。」と返信。
やった。
結婚とか難しい話は置いておいて、まずは行ってみよう。そうだそうだ行ってみよう。
そして旅の準備は万事うまく行くかに見えた。
ところが怒涛のように押し寄せる仕事と母の命にかかわる手術が重なり、行っている場合ではなくなり泣く泣くキャンセルした。
それから半年、友人たちはマレーシアやエジプト、コスタリカなどへ旅立ち、うらやましさと自分の仕事の忙しさに練り込まれた心というか塊が矛先を見つけられないままに、ねっとりとした質感だけを増していた。
「行く」から「行きたい」そして「いつかは行きたい」という現実を帯びてしまった為というか、ガイドとのメールのやり取りもなくなりかけた翌年の5月になんとか休みがとれそうな予感。
G・Wを全て出勤し、翌週に休日をまわすというサラリーマンにあるまじき行為を計画する。
「今度こそ行く。」と現地にメール。
「今年は9月まで空いていません。また連絡ください。」
「だからとにかく日本人は休みがとりにくいっつってんの。5連休なんて1年に1回もないんだから何とかしてください。プリーズ。」
「う~ん、じゃあ私の父が暇しているから行ってもらいます。空港に迎えに行けないし、ホテルとかも自分でとってくれるなら5月に日をとります。」
「ん?お父さん、大丈夫なんですか?お父さんのガイドで釣れますか?空港からそこまでどうやって行くの?ホテルって…」
「テキサスのホテルに着いたらお父さんの携帯に電話してね。」と追伸。
まぁいいや。考えてもしょうがない。行ってみよう。
すぐに彼女に連絡し、旅の準備をする。
今回の目的は巨大なアリゲーターガー。ボートを使って餌で釣るようだ。
現地ボートは3人乗れるらしく、せっかくの機会なので、友人数名に声をかけたところ即答で蔡曙伍が手を揚げた。
彼とは10年前ブラジルで一週間程時間を共にした仲間の一人で、その後も会わずとも連絡はとり続けていた。
出発前までを慌しく過ごしていると「ブタインフルエンザ流行」ときた。
WHOも異常に早い対応で下手したら空港閉鎖もあり得る。私達が行くテキサスだけは勘弁してくれと思うやいなや、その勢いはメキシコを発症としてあっという間に世界地図の色を塗り替えた。
行けるのか?行けないのか?
出発1週間前、インフルエンザは終息に向かったに見えたが、2日前になって日本で爆発的に蔓延した。
日本ではメディアが大きく取り上げて予防用のマスクが売切れるなどという非常事態。しかも、成田で合流する蔡はその流行の最先端の神戸から来るではないか。
出発前日は遅くまで仕事をして成田へ向かう。久しぶりに会った蔡としばらく話した後、
「あ、彼女も一緒だって話したっけ?」と聞いた。
「聞いていませんけど。」
「悪い悪い、そういうことなんで、とりあえずビール飲もうか?」
と見渡した空港内は今までに見たことないくらい人がいなかった。
ヒューストン無事到着。ヒューストンの空港も人が少なく、入国審査はすぐに終わり、荷物を取りに行ったら、スーツケースの取っ手が折れてなくなっていた。
これをどう運べというのか?ただの箱になってしまいとにかく持ちにくい。
まぁいい。
それはいいとしてインフォメーションカウンターへ行き、昼下がりにダベッているおばさんに聞いた。
「ここからタクシーでHuntsvilleまで行ったらいくらか?」
「高いからバスにすれば?」
「とりあえず、タクシーを希望します。」
「Huntsvilleで何があるの?学校?」
「釣りです。」
「あははは…あそこに魚いないわよ。川も湖もないと思うわ。」
「え…。」
まぁいい。それもいい。それほど知られていない場所なのかもしれない。
タクシーの運転手の溜まり場へ。
「だいたい150ドルで行くよ。」
「じゃお願いします。」
そして乗ったタクシーの運転手は、携帯電話でなにかを調べたり電話したりなかなか発進しない。
なぜだ・・・?
5分も経過したであろうか?
他のドライバー達が集まってきてその運転手に言っている。
「Huntsvilleは45号線を真っすぐ行けばいいだけだろ。早く行け。」
「いや、今道を調べているんだ。」
「45号線でいいんだよ。早く行け。」
車は走りだした。
様子を見ながら走っていたタクシーは45号線に入るや、いきなりぶっ飛ばした。ぶっ飛ばしたはいいが、辺りをキョロキョロ見ながら携帯電話をかけまくっている。
本当にこいつは大丈夫なのか?心配だし、ホテルの入り口や近くのお店を見ておきたいので、私も負けじとキョロキョロと見回した。
30分が過ぎて隣を見たら彼女は寝ていて、前の座席の蔡の首も斜めになっていることから寝ていることが推測される。
走ること1時間、45号線の右側に今回泊まる予定のホテルの看板が見えてきた。
「そこだ!!」つい口をついて日本語が出た。
二人は起きてタクシーは吸い込まれるように駐車場に入った。
運転手はホッとした表情でかつ自信満々に
「寝てたね。」と言ったのだ。
「俺は心配で寝てねぇよ。」と言いたかったがやめた。
彼はよくやったのだ。
ネットで予約したホテルはモーテルだった。
モーテルは思ったより汚く、チェックインするも部屋は狭かった。おまけにホームページで見た青々したプールの水はなんとなく緑がかっていて、2階に上がる手すりはサビていた。
部屋のドアの内側にはこんな注意書きが…
①部屋に入ったら必ず鍵をかけて下さい。
②誰かが来てもすぐにドアを開けないでください。
③車の中に荷物を置かないで下さい。
④何かあったら警察に電話しないでフロントに電話して下さい。
そんなに危険なのか?
危険なのはわかったが④は違うだろ。まずは警察ではないか?
モーテル近くには小さなショップとマクドナルド、サンドイッチ屋さんがあって飢えることはなさそう。まずは、ビールを購入して到着の無事を祝って乾杯。
ひとしきり飲んだ後、ガイドのお父さんに電話してみるかと電話機を見たら長距離電話や救急車の呼び出し方は書いてあっても、肝心な普通のかけ方が書いていない。
わからないのでフロントに聞く。9発信で普通に使えると教わってかけてみた。
「私は日本人です。明日からの釣りについて教えて下さい。」
「あぁ。息子から話は聞いている。××××××…」
英語がなまっていてわからない。正直に
「わかりません。」と言うと
「息子に電話してくれ。番号は××××-734-7459だ。」
と言われて電話を切られてしまった。
9発信でかけるも繋がらない。再びフロントへ。
「この携帯の番号はロングディスタンスカードを買ってこないとかけられないよ。」
「それはどこに売っていますか?」
「となりのガソリンスタンドで売っている。」
なんでこんな面倒臭いシステムなのか?しかし、面倒臭いなどと言ってられない。電話をしなければ釣りに行かれない。
隣のガソリンスタンドへ。
「ロングディスタンスカードを下さい。」
「ここには売っていないよ。」と店員
「えっ、じゃどこに売っていますか?」
「向かいのスーパーに売っているかも。」
「かも?」
外に出た。予想していたよりかなり暑い。そして高速道路と側道を挟んだ向かいのスーパーは看板がかすんで見えるほど遠い。
側道は歩道なんてなく、車がないと何もできないことは容易に想像できる。
反対側のスーパー前の刈り込まれた芝がくやしいくらいに青くまぶしい。
蔡が突然に
「俺が買ってきますよ。」と道路を渡っていった。
私と彼女はお言葉に甘え、エアコンの効いた涼しい部屋に戻りビールを飲みながら翌日の釣り仕度を始めた。
しばらくして蔡が戻ってきた。
「ガイドが来たよ。」
「え?どういうこと?」と私。
「カード買ってきたら、モーテルの入り口で会った。」
ガイドのお父さんが電話してくれたのかもしれない。
「よく来たね。初めましてカークです。昨日は80キロのガーが釣れた。この写真見な。」
デジカメに写っていたのは釣った人と同じくらい大きい。
今までどこへ行っても去年は良かった。先週までは釣れていた。しまいの果てには乾期なのに着いた日から土砂降りに雨だったりした。
今回は期待しても良いのか?最終日までじりじりと待たなくて初日で目的達成できるのか?
「明日5:45に迎えに来る。今日中にフィッシングライセンス買ってきて。」
「ライセンスはどこで売っていますか?」
「向かいのスーパーだよ。」
「…。」
蔡と顔見合わせた。
カークが帰った後に彼女は移動疲れで寝てしまったので、蔡と向かいのスーパーへ向かう。もう18:30なのにいまだ陽射しは強く、少し飲んだあとに歩くのはこたえる。
スーパーの中で釣り具売り場を見つけてライセンスを注文したら、なんだかやたら手続きが面倒なようで1時間も待たされ、部屋に戻るとまだ彼女は寝ていた。
蔡も疲れたようで寝てしまい「初日はステーキで景気良くいこう。」と約束したのに私一人だけぽつりと取り残された感じに陥り、この人達はなんでこんなに寝るのか?とビールを飲みながら、なんというかそれ以上には何も考えずにバドワイザーのライムテイストは意外にうまいとアメリカに感心したのだ。
さらに一人で飲み続け、まだまだ起きない二人は、起きた瞬間に「お腹空いた。」というのがわかっていたので一人でマックに買い物に行く。
アメリカに来るのは初めてなので夜の外出は控えたかった。買い物中は歩いている人は一人も見ない上、アジア人を一人も見ない。まして銃社会なので本当に怖いと思った。
特にマックの店員はテリーマンにそっくりで、顔に米のマークはなくともシャツを脱いだら肩に星のイレズミが入っているはずだ。
2日目
5:45、ドアがノックされた。
注意書き通り、のぞき窓から確認し、部屋のカーテンを少しだけ開けた。まだ暗い駐車場にピックアップトラックにボートを引いた車が見える。そっとドアを開ける。
目の前にもドア?と思うほど大きい老人が…。そしてその横に若い男性が笑顔なく立っている。
「よく来たね。私はカークの父のブライアンです。」
と言って手を差し出した。その手はぶ厚く大きく、今までに触ったことのない人の手の大きさだ。よく見ると体も大きく腕は私の太ももくらい。腰まわりは抱きついても私の腕はまわらないだろう。
「さぁ、行きましょう。」
トラックに乗り込み、真っ暗のモーテルの駐車場から出る。
しばらく走っても彼らは無言でどこの川へ行くとも言わない。出掛けに蔡が「車で何分ですか?」と聞いたときに答えた30分を越え、車は変わらず走り続けている。
真っ暗の中、60マイルを越すスピードで走っているにもかかわらず、ライトを全部消してから点け直したり、スピードメーターがメトロノームの針のように左右に振れたりしている。この車とおじいちゃんは大丈夫なのか?
薄明かりが差す頃、車は牧場の側道へ入った。入ったときにハンドルを切りすぎて内輪差でボートが路肩に乗ってガッタ~ンと傾いたがおじいちゃんは全く気にせず、前だけ見ている男らしさがある。
川が見えた。少しひらけた空き地にポストが立っていて「ここにお金を入れて下さい。」と書かれている。ブライアンは封筒にいくらか入れて投函し、ボートを川へ降ろす。ここは、だれかの土地なのだろうか?有料駐車場か?
ボートの操縦席におじいちゃん、その隣に若い男性。ボートに広げられた全て模様も形も違う結構汚れた3つの折りたたみイスに私達は座った。
そしておもむろにボートは走り出した。
昨日の夕方は皮膚が焼けるくらい暑かったのに、朝はかなり寒い。
Tシャツで来てしまったので本当に寒い。
ボートが走れば走るほど寒さが増して意識とは関係なしに足がガタガタ震え出した。振り向くとおじいちゃんと若い男性は、ゴム製のかっぱを着込んでいて
「朝は寒いからね。」
と笑っていた。
笑うな。
そもそも、走り出す前に言え。本当に寒い。
一年振りの旅行で自然を甘く見ていた。
奥歯からガチガチと震えて、蔡を見たら唇が紫色になって、こちらを向いて苦笑いが精一杯だ。彼女は早々にレインジャケットを着込み、深く帽子を被っていた。おぬしやるな。
日本と時差14時間。前日の夕方は歩きまくり、ビール飲みまくり、ジリジリと陽射しを受け、今は極寒。寒さで指が痛くなったとき、ようやくボートは止まった。死ぬかと思った…。
川は黄濁していて流速はそれほど早くない。川幅は40mくらいか?両岸の先は牧場のようで、用水ポンプが川に浸かっていて人工的な印象を受ける。
こんなところに大きいガーがいるのだろうか?
おじいちゃんがクーラーバッグから取り出したのは50cmはあろうかという鯉。それを輪切りにして針にかける。
竿は下仁田ネギくらい太く、道糸は150ポンドテストのもの。ハリスのワイヤーは2mmと太い。流動する20cmのウキがついていていそれを川へ落とした。
そして落とすや否やボートを岸に着けたのだ。さらになにか黒い携帯電話のようなものを取り出し、竿とは別の棒につけた。
若い男性はボートから降りて、2本の棒の土に挿し、そこへ竿をかける。
ボートは岸を離れた。
「魚がかかると糸が出て、黒い機械から信号が出る。ボートには受信機があるから鳴ったら竿を取りにくるんだ。」と大体そんなことを説明された。
大体というのはおじいちゃんは入れ歯がないようにフカフカ空気が抜けてしゃべるのでわかりづらく、それをちゃんと説明しようとする若い男の子はやたら早口で、どちらもわかりにくいのだ。
さらに同じ岸側に30m感覚で4本の仕掛けを出し、ボートは対岸につけられた。
小さい竿を渡され「ナマズでも釣って待ちましょう。」ということになったのだ。
ウキは川の流れに押され川岸に近く仕掛けはカーブの内側、水深は1mを切っているように見える。
あんなところで釣れるのか?あんな仕掛けで釣れるのか?
この対岸のほうが深くて大きい魚がいそうだけれど、いつものように現地のことは現地の人が知っているはずだから信じてまつことにした。
手持ちナマズの仕掛けにも全くアタリはなく、私といえば冷え込んだ体と時差ボケ、昨晩に一人で飲みすぎたビールによる二日酔いで頭蓋骨がギシギシきしむような痛みに耐え、それを2人には悟られまいと根性を見せたのだ。本当ならベッドで寝たいくらいだ。
そんなことを考えていたらピーピーとアラームが鳴った。なんだこれは?
「かかったぞ。」おじいちゃんが言う。
その顔は、さっきまでの温和なそれとは違い、目が雄になっていた。老眼鏡の下にギラつく目に、この人は凄いのかもしれないともっと良く見ると、鼻毛が毛鉤のように束になって3cmくらい出ていて、なんというかアメリカのダイナミックさに感激した。そしてさらによく見るとおじいちゃんはガラパゴスに一匹だけ生存するロンサム君に似ていた。
やっぱおじいちゃんだな、おじいちゃんの話はもういいか。
私がおじいちゃんを観察している間にもアラームは鳴り続け、ボートは竿のある岸へまわされた。
ボートは勢い余ってどか~んと岸にぶつかり若い男性が竿を持ってきた。
アラームといい、ボートの勢いといい、一般的に魚を釣るときに音を立てないなんていう常識の真逆をいっている。さらにエンジンはかけたままウキを追う。魚逃げるだろう普通?
「アリゲーターガーは餌をくわえたら少し泳ぐ。大きかったら川の真ん中へ、小さいガーなら岸寄りに停滞する。飲み込むまでに10~15分かかるからしばらく待って再びウキが動いたら飲み込んだ証拠。アワせるんだ。」
と言いながらボートはウキの10mくらいまで近くに寄っている。3人で
「近づきすぎじゃね?」なんて話していたらウキが動いた。
すぐに蔡が竿を受け取り、アワせて巻いた。巻いたはいいがボートはさらにウキに近づき、その距離はもはや5mとない。近づいた分、弛んだ糸を巻き取っているだけにも見える。
「かかってんの?」
と私。
「全然わからん。」蔡が答えたとき、ウキはもうボートの横にまで来た。この状態でどうやって取り込むのか?
網もギャフもない。若い男性は軍手をしている。まさかそんなわけないよな…。
黄濁した水面をを割って出た。いた、ガーだ。
若い男性はラインを手に取り引き寄せると、いきなりガーの頭を掴んだ。そして腹に手をまわして掬い上げる。超巨大とは言わずとも80cm5キロの個体。水槽で見るのとは違い、クリーム色の肌に菱形の鱗、太陽の光が青から緑から黄色へと虹色に反射する。
ピーピーピー
またアラームだ。
「次、行くぞ。次。」とおじいちゃんエンジンをうならせる。
こんなに釣れるものなのか?
続いて彼女が挑戦。あっと言う間に2匹を釣り上げた。ボートの上で2人並んで撮影。
「今までの釣りで、初日で釣れたことなかったよね。」
ここは本当にすごい場所なのかもね。
ピーピーピー
またきた。
次は私の番だと竿を掴む。大きくアワせて巻く巻くどうだ3匹目。
あれ逃げた。
ごめん。
いきなりやってしまった。アワせが甘かったのか?マジごめん。
少し場所を移動して、またアラームが鳴る。今度こそ、外せない。大きくアワせたらスッポ抜けた。あいたたたぁ…。ボートの中の空気が冷たくなった気がする。誰もしゃべらなくなったのだ。
新しく仕掛けを入れ、この冷たい空気にうなだれた私は、下を向いた。なんだか悲しかった。二日酔いのボ~ッとした頭で川に流れるゴミを眺めていた。その時、あれ何かが動いた。手網で掬ってみる。
「あ、これガーの幼魚だ。」
プラケースに移す。アリゲーターガーの幼魚に間違いない。よく見ると流水やゴミに混ざって何匹も川の流れに乗っている。私・彼女・蔡も網をもって掬う。おじいちゃんと若い男性は手で掬い、10分もしないうちにプラケースは爪楊枝くらいのガーの幼魚でいっぱいになる。
「私達もこんな小さいガーを見たのは初めてだ。」
とおじいちゃんはプラケースを放さない。若い男性も興奮しきりだ。写真を撮りたいがプラケースを手放す様子が全くないので、私はさらに掬う。メダカやハヤ、タナゴに似た魚を次々おじいちゃんに見せる。
「これは、小魚だ。」
「…。」何の魚か聞いているのだ。
さらに赤い尾の魚を見せると
「これは赤い尻尾の小魚だ。」と言い切った。
ようするにガー以外は小魚だということがわかった。これだけ小魚が掬えるとなると牧場の中を抜けるこの川は、見た目以上に豊かなのかもしれない。
ピーピーピー
長渕剛ではないアラーム音だ。
「来たぞ。」
おじいちゃんがエンジンをかける。
若い男性が「あのウキが動いている。」と指差すもおじいちゃんは全力で一番上流へ向かう。そして竿の前へ。
し~ん。
この竿じゃない。
「だから、さっきの竿だって言ったんだ。」若い男性が大きな声で言い放った。
「いや、赤いランプが点いた。」とおじいちゃん。
どうやらこの信号は、周波数が違い、どの竿が引いているのかランプの色でわかるようなのだ。しばし、ウキを見る。
ピーーーー、また鳴った。
「緑だ。」とおじいちゃんがボートをぶっ飛ばす。すごい勢いで糸が出ている。糸の残りが少ない。そして竿を陸からひったくるとウキに向かって爆進した。おじいちゃん焦りすぎ。
私はボートのスピードに合わせて急いで糸を巻いた。引きを味わう間もなく、ボートはウキに横付けされ、また手で掴み上げられたガーは先程と変わらない大きさだ。
本当にきれいな魚。今まで全く興味なかったけれどこんなにきれいなら飼ってみたいとさえ思うのだった。
初日から3人共魚が釣れて、本当に良かった。一日目は終わり、モーテルに戻ってすぐにビールで乾杯。今日こそはステーキだとはりきってシャワーを浴びて出てきたらすでに2人は寝ていた。
2日目
今日は別の場所へ向かう。着いた先は本流に注ぐ小川で、昨日とは違いブラックウォーターだ。雰囲気としては最高。3人で
「なんだかいけそうな気がするう。」
と川を見たら巨大なナマズが死んで浮いている。なんで死ぬのか?
この日は竿を出さない。餌は昨日と同じ鯉のブツ切りでウキから下だけを川へ流す。かかったらウキを追いかけ、止まった時点でラインを竿とリールにつなぎ巻くといのだ。
これは…、その…、釣りというか漁だな。むしろ竿とかいらないでしょ?
この川は昨日の川にそそぐ小川で、大きなガーがいるらしい。
2人の会話を聞いていると、どうやら親子のようで若い男性の名はデニーということがわかった。それにしても年が離れすぎていないかと思う。
ウキから下の仕掛けはいたるところへ流し、ボートを岸寄りに泊める。水面を眺めているとまたガーの子供が流れてきた。暇つぶしに掬っていると、一匹が少し違う。プラケースをおじいちゃんに見せたら、
「これはロングノーズがーだ。」と言う。
確かに鼻先がアリゲーターガーのそれに比べて3倍くらい長い。混棲しているのだろうか?
ん、待て待て今日はアラームが鳴らないだろう。ならば、魚がかかったらどうやって知るのだろうか?見渡すとウキはゆっくり流れてしまっている。
おじいちゃんは私達が小魚が好きとわかったのか?小川を下り、細い水路へ無理矢理ボートを突っ込んだ。そこではブラックバスやブルーギルの幼魚も掬え、私としては満足だった。
ただ、小川には魚の死体が多く浮いていて水がよどんでいるようにも感じた。
小川へ戻りウキを回収していると、おじいちゃんが「これは掛かっている。」とウキをリール付きの竿の糸に結んだ。蔡が巻き、魚が近くに来た瞬間に魚が走り出した。これは大きいのか?水面に魚体が見える。ロングノーズガーだ。私は見逃さなかった。
「デニー、急いで取ってくれ。」
デニーが糸を掴んでゆっくり引っ張るとガーは針にかかっていない。ラインが長いくちばしにぐるぐる巻きついているだけだ。それを見たデニーは、無理矢理魚を掴み上げ、ボートへぶん投げる勢いで取りこんだ。引きの割には大きくなかったが尻尾にスポットが入り、これも素晴らしく美しい個体だ。
それからアリゲーターガーも2、3匹釣って上がる。帰りの車の中でおじいちゃんのもう一人の息子(本来のガイド)に電話すると、この日に50キロを3匹釣ったという。
何をやっているのか?おじいちゃん、しっかりしてほしい。
今日こそきょうこそステーキだとモーテル近くの「この街で一番おいしいステーキ」の看板の店に入ったら、メキシコ料理店でずっこけた。メニューはタコスだらけだったのだ。しこたまビールを飲んでフラフラになりながら側道の歩道のない場所を歩き、部屋に戻ってまた飲む。飲んでいると、蔡がこんなことを言い出した。
「あの人達、魚のことわかっていないんじゃないかな?聖のほうが詳しいんだからもっと提案したらどうなの?」
「確かに、いつかは釣れるだろうって感じだよね。俺から色々言ってもいいけど、今までの経験からすると最終的には現地のことは現地の人に任せた方が良かったことが多いよ。」
「釣りに関してはそうだけど、昼ご飯もないし、何だかホスピタリティを感じないよ。」
「確かにないよね。でもそれは別にないだけの話であって、良いとか悪いの判断にはつながらないと思うよ。こういうやり方なんだよ。」
「俺、明日NASAの宇宙センター行こうかなぁ。」
蔡の言い分はもっともだ。おじいちゃんとデニーは、魚の扱いが荒い上、待っている間は自分達が釣りをしている。6:00から釣りをして15:00に上がる間「水を飲みますか?」とか「何か食べますか?」とも言われない。昼頃になると自分達だけチーズやクラッカーを食べている。今までの釣りロッジとは大違いであることはが間違いない。
一方で、魚の釣れる数もそう多くはないし、普通に考えれば高いお金を払っているのだからもうちょっと…と思うのだろう。
私は、国とか人の違いはこんなものだろうと考えていた。エジプトではトローリング中にガイドがお祈りを始めたり、ブラジルでは釣りしているところへガイドが泳いできたり、コスタリカではボートさえ動かさないガイドさえいたくらいなのだ。
そして私が見る限り、一様に彼等は全く悪気なく、その世界観を生きているのであって旅というのはその域に飛び込むことだと考えていた。
ただ、蔡の場合は私と違って感じるだけでもいいが、自分も主張もしっかりしてはどうかということなのだ。そんな話をしていて、私は妙に物分りの良いおっさんになってしまったのかなぁと感じ、彼女の意見を聞こうと思ったらもうすっかり寝てしまっていた。この人は食べるか寝るかしかないのだろうか…。
3日目 最終日
昨日、50キロが3本釣れたという場所へ向かう。この2日間の場所よりちょっと上流らしい。黄濁した川は、今日も何ら変化を見せない。ボートを走らせて5分もしないうちに岸へつけ、仕掛けとビープ音が鳴る装置をつける。
昨日、一昨日から朝の一時間だけが活性が高いと感じていた。それなのになんのアタリもないままあっという間に8時を過ぎてしまったのだ。
場所を変えて待っていると、おじいちゃんのもう一人の息子、カークがボートで突っ込んできた。
彼のボートには夫婦らしき2人が乗っていて、その真ん中に80キロはあろうガーが横たわっていた。すごい。こんな大きな魚がいるんだ。
なんとなく私達ボートはどんよりした。なんとなくではなく、はっきりとどんよりした。
仕掛けをまた別のところへ移したとき、おじいちゃんがデニーに「もうちょっと竿先を斜めにしろ。」とか「仕掛けを、遠くに投げろ。」とか指示を出していて、疲れが出たデニーが、「どっちでもいいだろう。」と言い放った。
そのケンカ自体どっちでも良くないか?親子ケンカなら家に帰ってやってほしい。
しばらく待つことついにビープ音が…。ボートをぶっ飛ばしておじいちゃんが行く。しかも今回も竿の近くに行ったら糸が出ていない。また竿を間違えたのだ。
「だから、青いランプだって言ったんだ。」デニーが怒る。
だから家帰ってやれっつうの。
ボートを移動し、今度こそ魚のかかっている竿へ。
ウキはどんどんひっぱられ川の中へ動く。今までのウキの動きとは全く違う。ついに来たか?ところが一転してウキは沈水林に向かった。何を思ったのかおじいちゃんは竿をかせとばかりにいきなりアワせた。
まだ、早いのではないか?それでもかかったようで、私は巻く。
今までにない引き。深く重い。一瞬だけ魚が浮いた。背中が見える。
でかい。50キロはあるだろう。
ついに釣れるのか?と思いながらも今までの釣りのように全くドキドキしない自分がいた。そして5分か?10分か?ふぅと糸は軽くなった。
うそだろ?
巻き取った先には餌がそのままついていた。アワせが早かったのだろう。ガーが吐いてしまったのだ。
もう終わりの時間は近かった。私は最後のチャンスを逃してしまったのだ。
あまりのショックに座り込んだ。おじいちゃん達はかわいそうと思ったのか?
「今日は最終日だから、暗くなるまでやるぞ。」
と意気込んだ。どうせやるなら初日から意気込んで欲しかった。
仕掛けを投入するときに蔡が、
「反対岸にも仕掛けしないの?」と聞いた。
4本のうち1本だけをいつものように浅い岸ではなく、流れが強く当たる深い岸に刺した。そして小川で時間をつぶしているとピッピピッともうしわけなくアラームが鳴る。ボートを寄せ竿を取る。その竿は蔡が提案した反対岸に刺したものだ。
ウキは岸近くに止まっている。「小さいのかな。」そう話していると、そのウキは、一気に対岸へ走った。あまりの早さにウキが消えたように見えた。そしてまた対岸付近で止まったのだ。
どうなんだ大きいのか?さらにウキは下流へ向かい30mは走ったか?今度はいきなり上流へ動く。
「合わせるんだ。」おじいちゃんが言う。
竿を持った蔡が背中をのけぞるくらい合わせた。その瞬間、蔡が腰を軸に前のめりになった。
「ボートを前に出せ。」私がおじいちゃんに言う。
おじいちゃんは慎重に近づいた。下仁田ネギの竿が根元から曲がっている。これは、ちょっと尋常ではない。
周りを見る。合わせたのが川の真ん中なのでゆっくり時間をかければ取りこめるはずだ。魚は右へ左へそして下流へ走る。蔡の腕には血管が浮き、こめかみから流れるように汗が出ている。足はガクガク震えて、傍から見るといつ竿が手から滑ってしまうか?気が気ではない。
どおぉぉぉん。
なんだ?
振り向くと、ボートが岸にぶつかっている。
しかもせり出した木にエンジンがひっかかっている。さっきまで川の真ん中にいたのではないか?おじいちゃんは何をやっているのか?蔡をみていてまだボートを動かす気がない。魚はエンジンの後ろに向かって糸が絡むかもしれない。
「ボートを左に旋回してくれ。」と私。
「聖、陸をを蹴ってボートをここから出してくれ。」蔡が叫ぶ。
よし、私はボートエッジにつかまり壁を蹴った。ボートが岸から離れ抜け出せるかに思った。
しかし…、どおぉぉぉん。
おじいちゃんはまた右に舵を切ったのだ。
こうなったらせり出した木を折るしかない。私は、ボート後部へ走りデニーに「木を折るぞ。」と言った。
そして蔡に「俺の後ろへ来い。」と声をあげた。
木を折ろうと力を込めた二人の勢いでボートは反発し再び川の真ん中へ出た。魚はかかったままだ。ところがおじいちゃんは何もない浅い岸へボートをつけてしまった。魚はまだまだ引いている。
「川へ出してくれ。」そういう私に全く動かす素振りを見せずに
「ここで取り込む。」と言った。
魚の動き次第では私がボートを動かすつもりで様子を見た。ボートに寄った魚の背が見える。
「なんだこれ?」
想像を遥かに超えて大きい。寄せては潜り、寄せては潜る。とたん魚はボートの下へ入った。まずい。これではボートを動かせない。蔡へ
「竿先を水中に突っ込んで、半円を描くようにゆっくり引くんだ。」
そして魚は浮いた。鼻先と腹にロープをかけるも、私と蔡とデニーの3人でも引き上げられない。私は川へ入って持ち上げようとしたら、ぬかるんで沈んでしまう。おじいちゃんまでが加わって引き上げるときにボートが岸から離れ私は慌ててハンドルをとった。そして
「…。」
これはなんというか?こんなに大きいガーがいるものなのか…。
涙が出た。
何でかわからないけれど激しく涙がこぼれた。そして満面の笑みの蔡と何度も何度も握手した。
4日目
感動も冷めぬうちに帰国のため、タクシー会社に電話した。
「今日は、日曜日なので行けません。」
という冷たい一言で電話は切れた。
私達はどうすればいいのか…。
飛行機発進まであと3時間。
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