アジアアロワナ・紅龍の「釣り」について
アジアアロワナ・紅龍の「釣り」について
こんばんは。このアジアアロワナ(Scleropages formosus)関連の連載も少し間が空いてしまいましたね。
・第一回 アジアアロワナってどんな魚?
・第二回 アジアアロワナの生息地はどんなところ?
・第三回 ワシントン条約とアジアアロワナ
なぜかといいますと2016年、今年もインドネシアはカリマンタン島への遠征が既に決まっていたことから、せっかくなら最新情報をお届けしたいと思い、原稿を書き留めておりました。
今回は2016年9月の最新情報を元に書き留めていた原稿を加筆修正しながら今回はレッドアジアアロワナの「釣り」に焦点を当てていきます。
・今後釣るのはますます難しくなってくる
のっけから釣り人のやる気を削ぐようなタイトルなのですが、これは事実です。
といいますのも未だレッドアジアアロワナが色濃く残っている2つの湖が一切の漁獲禁止(調査目的は例外)になっていることを今回の遠征で確認致しました。
あまり詳細を書くと筆者の命が危ないので(半分冗談、半分本気です 笑)湖の名称は明かせませんが、レッドアジアアロワナを釣るならばその湖だろうと思っていたところです。2014年には特別なルートで通ってそのうちの一つの湖で竿を出したのですが現在では不可能となっています。近年になっても調査用の定置籠により6尾のレッドアジアアロワナが捕獲された実績があります。この事実からも密度の濃さが段違いであることが理解いただけるかと思います。
今、釣りを行うが許されていて、なおかつレッドアジアアロワナが生息する湖はイバン族が住むM村周辺の湖です。
・M村とは
センタルン湖の支流を上がった最上流域に位置するイバン族の村がM村です。
イバン族とはボルネオ島西部の先住民族で、好戦的な気性から「ボルネオ首狩族」として有名です。マレーシア連邦サラワク州に約32万, インドネシア共和国西カリマンタン州に8 万程度の人口をもつプロト・マレー系の民族と言われています。
近年では欧米教育を受け、広く経済活動を行っているイバン族も見受けられますが、多くは自給自足で共同生活を行っている山間の民です。
イバン族はロングハウスと呼ばれる高床式長屋に複数の世帯で共同生活を行っています。ロングハウスには世帯ごとにビレックと呼ばれる居住スペースが割り当てられていて、そのビレックには三世代ないし四世代の直系家族が居住しています。
M村のロングハウスは典型的なイバン社会を形成していて、筆者が滞在したロングハウスには10のビレックが存在し、そのロングハウスの人口は73人でした(2014年当時)。M村全体の人口は300人を超えていると言います。
まと、M村の最新の動向としてはエコツーリズムを取り入れる動きが活発です。はじめて訪れた2014年当時は自給自足での生活が基本で、経済活動の規模は微々たるものでしたが、2016年に話を聞くと、観光産業に村を挙げて力を注いでいます。村長がWWFのプロジェクトに積極的に参加していることもあり、オランウータンを探すためのジャングルトレッキングや釣り人の誘致にも力を入れています。
イバン族についてはまた次回、アロワナの歴史と絡めて詳しくご説明致します。
・M村周辺での釣り
M村は乾季であれば日本を発つ日も含めてたどり着くのに3日は必要となる秘境ですが、皆様が想像している以上に釣り人が入っています。インドネシア人の遠征組や彼らがガイドし連れてくる外国人、極め付けには現地の釣り人が毎日のようにスプーンやスピナーなどのルアーを駆使してトーマン(Channa micropeltes)やフラワートーマン(Channa pleurophthalma)を釣っています。つまり、ここの魚たちはルアーを見飽きているといえます。それでも他のアジアと比べると爆発的に釣れるのですが、筆者が前回訪れた2年前と比較しても確実に魚の警戒心が強まり、釣りづらくなってきています。
紅龍はそれらの湖に確実に存在しているのでいつ釣り上げられてもおかしくないのですが、未だ釣りあげられた紅龍はアメリカ人のロバート氏による1匹のみとなっています。冒頭で挙げたレッドアジアアロワナが濃い2つの湖での釣りを禁じられた今、レッドアジアアロワナを釣るためには競争率の高い中、遠征の限られた時間の中でルアーを見飽きたレッドアジアアロワナに口を使わせなければいけないのです。
・2014年西カリマンタン釣行記
さて、ここからは私が2年前に行った西カリマンタンでの釣行記を綴りたいと思います。
この釣行の前年には紅尾金龍・過背金龍を狙ってスマトラ・マレーシアに1ヶ月滞在しておりましたが、政府の保護区や密漁業者の妨害を受けまともに釣りが出来ずに帰国していました。
2014年は前年の失敗を踏まえて予想されるハプニングに対応できるよう、資金を多く持って紅龍の生息地、西カリマンタンへ向かいました。また日本で調べることが出来る情報は全て調べていこうと、英語・インドネシア語でのインターネット検索はもちろん、古い文献を読み漁りました。これら類の本は高価なためこれだけで2万円程度は使いました。これも前年の失敗を踏まえた上での行動です。相手は世界で最も釣ることが難しい魚の1つですからここで妥協は出来ません。
・ブラックウォーターを探せ
2014年の10月、西カリマンタン州の州都、ポンティアナに飛んだ筆者はオンボロのバスに18時間ほど揺られ、レッドアジアアロワナの聖地と呼ばれる街へとやっていきました。そこはレッドアジアアロワナのファンなら誰もが知る有名ファームが軒並み揃っている街です。当然ながらそういった有名ファームはコネクションがなければ見学などできるはずもなく、小さなファームや、個人が飼育しているアロワナを見ることしか筆者には出来ませんでした。それでもこのレベルのアロワナをどこでも見ることが出来るのですから、気持ちは否が応でも高まります。
※写真は2016年撮影のもの
筆者はそこからバスを乗り継ぎ、聖地センタルン湖を目指しました。センタルン湖のエントランスとされる村で日本において得た知識と現地で得た情報を照らし合わせた結果、M村というアジアアロワナと共に歴史を刻んできた村へ行くという選択に至りました。
なぜならその村で2013年にアメリカ人バスプロのロバート氏が実際にレッドアジアアロワナを釣りあげていたからです。
M村へ行くにあたり公共の交通手段はありません。そこで筆者は英語とボートの操船にたけた、センタルン湖内に住む男性を雇い、バイクとボートを乗継いでM村に入村しました。
インドネシア人釣り人の案内によってM村で釣りをする外国人は今まで何グループかあったようですが、M村へ個人で訪れる外国人は相当珍しいことのようでした。
川に浮かぶ村からボートで少し走った場所にアジアアロワナが棲む湖への入口がありました。筆者は上流から流れ込む正真正銘のブラックウォーターを見て、正解はここだと確信しました。長い時間をかけてやっと戦いの土俵に立てたことで胸がいっぱいになりました。
・ブラックウォーターについて
センタルン湖と直接つながる川の色。ブラックウォーターだけれども不純物が大量に含まれている水の色。色で言うと茶色。当然飲めません。
アロワナが潜む湖から流れ出る川の色。タンニンが溶けだしているため黒く見えますが、透明度が高いことがおわかりいただけると思います。本当のブラックウォーターは文字通り黒色の水です。
ちなみにブラックウォーターをペットボトルに入れるとこんな色をしています。筆者はこの水が非常に綺麗なことを知っているのでこのペットボトルからグビグビ飲みます。理論的にはミネラルウォーターより圧倒的にクリーンです……が、飲む場合は自己責任でお願いします。筆者はお腹が異常に強いのです。
・アクアリストのパラダイス
M村では、尋常じゃないほど魚が釣れます。
これが釣れた瞬間の感動は忘れません。日本のアクアリウムショップではまずお目にかかれないほどに真っ青なフラワートーマン(オセレイトスネークヘッド)。
トーマン(ジャイアントスネークヘッド)。他の国で釣れるそれとは一線を画す、ブラックウォーターが体の隅々まで深い色合いに染め上げた芸術です。
ただ、アロワナが水面を割ることは一度もありませんでした。
このまま以前釣りあげられたことがあるこの水域で奇跡を信じるのもひとつの道でした。
せっかく日本から調べ上げて、現地ですり合わせ辿りついた一つの正解。ここにすがりたい気持ちがありました。しかし筆者としてはこの場所以外にも必ず未だアロワナが潜む水域があるはず、いや、むしろないなんて決めつけたくない。
今やインターネットで調べることで殆どの魚の生息地がわかる時代です。でもこういう魚だからこそさらにその先があるはずだと信じたかったのだと思います。
筆者はM村に別れを告げ、新たな生息地を探す冒険へ出ました。
・真紅の爆発
M村での釣りを終えた私はカプアス川の上流、下流を探ることにしました。
M村と同じ条件である、川の本流に注ぎ込むように流れ出す高い場所に位置したブラックウォーターの湖は全て調べるつもりで回りました。
多くの村で口を揃えて返ってくる言葉は「昔はたくさんいた」です。
どの村もトーマンやフラワートーマンは信じられないほど釣れましたが、「今のアジアアロワナの情報」はなくM村に戻ろうかとさえ思い始めていました。
そんな時、アロワナがまだ今もいるという情報をカプアス川中流の村で耳にしました。そこは保護区になっており、通常釣りをすることが出来ないが、特別料金を支払えばその限りではないとのことでした。
正直インドネシアの物価を考えるとその特別料金は破格です。ですがこのような事態を想定し、アルバイトで必死にお金を貯めてきた僕にとっては支払えないものではありませんでした。
木製のカヌーに乗り、ブラックウォーターの支流を上がった場所に位置するその湖は水質、周囲の水生植物ともにアジアアロワナが生息する環境としては申し分ありません。
釣りをはじめると、M村と同様にトーマンが果敢にルアーを襲ってきます。
高額の特別料金を払ったのにも関わらず、M村での釣りと同じように無情にも時間だけが過ぎていきます。
なぜ日本でしんどい思いをしながら、今ここでルアーを投げ続けているのか。世の中にはたくさん楽しい事、面白いことがあるのになぜ。頭の中でいろいろな迷いが駆け巡っていました。そんな時、水面を泳ぐルアーにトーマンのものとは全く異なる、紅い爆発音が鳴り響きました。
一瞬でした。筆者のルアーには一切魚体が触れることなく再び静寂な湖面へと戻りました。残るのは紅い残像と耳鳴りと水面の波紋のみ。その水面を見て、なぜここまでしんどい思いをしてまでこの魚にすべてを注ぎこむのか、少しわかった気がして晴れ晴れとした気持ちになりました。もちろんその数分後には目の前で起こった光景を冷静に考えられる自分がいて、何にも例え難い悔しさが筆者を襲いましたが……。
結局その後は数えられないくらいのトーマンを釣ったのみで筆者はその湖を去りました。
村へ戻り話を聞くと、もうひとつ同じように保護区となっている湖があるとのことでした。しかしそこはいくらお金を積んでも案内することが出来ないと言われました。
この時点で残された時間はわずか、M村に戻る時間はありません。2014年の筆者のアジアアロワナへの挑戦はこうして幕を下ろしました。
・2016年の挑戦
あれから2年が経った2016年。筆者は2年前とは社会的立場を大きく変えてボルネオの地を踏みました。2014年の当時は学生でしたが、いつのまにか社会人として限られた時間の中で夢へと挑戦しなければなりませんでした。
冒頭で触れたように環境保護団体の活動が進んだ今、かつてアロワナが水面を割った湖には立ち入ることが出来なくなっていました。
筆者はM村で僅かな可能性にかけ、ルアーを投げ続けました。相変わらずM村は豊かなフィールドでした。ただアロワナは1度も水面を割ることがありませんでした。今年も青いフラワートーマンに会えました。
チタラロピス(Chitala lopis)。ボルネオナイフと呼ばれる大型になるチタラの一種。非常にかっこいい魚です。
ダトニオ・プラスワン。大きいものは今回見ることが出来ませんでしたが、M村の前の川、センタルン本湖に沢山生息しています。
ボルネオカワガメ(Orlitia borneensis)。世界最大のイシガメ科はボルネオにいます。
センザンコウ。乱獲のため生息数が激減している不細工でかわいい小動物です。
ワラゴレイリー(Wallago leerii)の稚魚。マレー半島では乱獲によりほとんど見ることができない魚です。
筆者は当然、今後もレッドアジアアロワナを狙ってインドネシアに通います。ただ本当に釣りあげるためには狙う方法を既存の海外釣りのスタイルから大きく変えなければいけない時代になってきています。これはアジアアロワナに限定した話ではありません。またそれについてはいずれどこかで触れたいと思っております。
さて、今回のアジアアロワナ連載では釣りに焦点を当てましたが、次回はアジアアロワナを取り巻く現地の人たちの、「今まで」と「これから」についてお話できればと思っております。