三次元の覇者の名を冠す二次元の主 「ツバクロエイ」
三次元の覇者の名を冠す二次元の主 「ツバクロエイ」
いきなり個人的な、しかもかなり偏った趣向の話で恐縮であるが、僕はエイが好きだ。
あんな海底にへばりついている日陰者のどこがいいのかとその魅力を問われれば、あまりに語るところが多すぎてかえって答えに窮するところである。
あえて一つ挙げるとするなら、まさにあの海底にへばりついている様と、そのような生活に特化した魚離れした平たい身体が好きなのである。この薄さ、平たさこそ他の魚類とは一線を画すエイの特徴であり魅力。
とりわけその体型に着目するのであれば、数あるエイの中でも日本近海に広く分布する「ツバクロエイ(Gymnura japonica)」を特筆せねばなるまい。そもそも、エイ類という一群自体が魚類全般の中ではかなり特異な風体をしていると言える。しかし、ツバクロエイはその中でもさらに頭一つ抜けて奇抜である。
「ツバクロ」とはツバメを指す古語である。
ヤクルトスワローズのマスコットキャラクターとしてお馴染み、ツバメの「つば九郎」もツバクロをもじったネーミングだ。
ツバクロエイにおいて、この名はその特徴的なルックスに由来するものとみて間違いないだろう。
普通のエイはトランプのマークで言えばスペードを想起させるシルエットであるが、ツバクロエイはむしろ横倒しにしたダイヤに近い。
胸鰭が左右に大きく張り出し、体の長さよりも幅の方が大きくなってしまっているのだ。
普通のエイはスペードに近いシルエット。
ツバクロエイはまるでスポーツカイトのような、ある意味洗練された輪郭。
こんな魚、他にはそうそういたものではない。この常軌を逸したシルエットが命名者には翼を広げたツバメに見えたのだろう。
僕にはまったくピンと来ないが、きっとそう見えたのだろう。
また、魚体の薄さにも驚かされる。それこそ凧のようにペラペラだ。
もう完全に砂底に張り付いて一体化するか、砂上を滑るように移動することだけに特化しているのだ。
立体的な動きを捨て、ひたすら二次元的な生活を選んだのだ。そういう生存戦略なのだろう。薄い!ツバクロエイは二次元に生きる魚なのだ。
ところで、一見すると同じく二次元特化型かと思える平たい容姿をした魚にコチやヒラメ、カスザメなどがある。
だが、こちらは海底で頭上を通る小魚やイカなどの餌を待ち伏せ、目にも留まらぬ速さで跳ね上がって奇襲する。
なんだかんだでバッチリZ軸を意識していやがるのだ。エイと同じく平たい魚体を海底に置いて生活するカスザメ。しかし、こいつは頭上を泳ぐエサを飛び上がって襲うというわりと垂直方向を意識した生活様式。二次元への執着ぶりではエイに一歩及ばない。
一方、ツバクロエイは口までも腹側についている(これはほとんどのエイ類に共通する特徴)。
砂底のエサを専門に漁っているのだろう。
背面についた眼で上層を意識するのは頭上からの外敵というイレギュラーのみなのかもしれない。
海底という「面」がこの魚にとっては世界のほぼすべてなのだ。
そう考えると、名前の元になったツバメはこの世で最も立体的な機動に長けた生物であるので、この珍魚はまったくの対極にある存在と言えるかもしれない。
またあまり知られていないがこのツバクロエイ、実は食べてもなかなか美味しい魚である。
血抜きなど、捕獲後の処理さえ迅速に済ませていればエイ類にありがちなアンモニア臭さも出ない。
鰭の付け根の肉は唐揚げや刺身で良し。から揚げ。皮がモチモチ!
肉を削いだ後の軟骨は酒やみりんで味を整えて炙ってやれば、上質なエイヒレに化ける。
淡白で上品な肉の味もさることながら、火を通した皮や軟骨のもちもち、ねっとりとした膠質の食感がたまらない。
まあ、ほとんど漁獲されない魚なので、残念ながら市場に並ぶことはめったに無いのだが…。ツバクロエイヒレの炙り。ゼラチン質でネトネトだが、それが美味い。
そうそう、書き忘れていたが実はこのツバクロエイ、短い尻尾の付け根に毒針を持っている。
近縁のアカエイなどに比べれば造りが貧弱で尻尾の可動範囲も小さく危険性は低いが、それでも知らずに触れてしまえば相当に痛い目を見るだろう。尾の付け根には白い毒針が!
トボけた外見からはちょっと想像し難いことだが、エイの毒針というのは大変たちが悪い。
間近で観察すると針というよりは両刃のナイフのような形をしており、粘り気のある毒液が表面に分泌されている。
しかもエッジには鋸刃状に返しが並んでおり、一度刺さるとなかなか抜けない親切設計。毒針を拡大してみると、鋸の歯のような突起が見える。これが皮膚を切り裂き、刺されば抜けない厄介なギミック。
これから春を迎えると徐々に水温が上がり、エイ類が浅瀬に寄りやすくなる。
ツバクロエイに限らず、海水浴中に見かけたり釣り上げたりしても迂闊に触らないようにしたい。