吃驚仰天!妖怪「マタマタ」との出会い (南米・ベネズエラ)
吃驚仰天!妖怪「マタマタ」との出会い (南米・ベネズエラ)
まったく、不思議なものだ。 人間、永く恋焦がれた至福の瞬間が訪れた時の事は意外に思い出せない。
しかし、予期せぬアクシデントや珍事は、その一瞬一瞬を鮮明に思い出すことができるのだから…。
僕には、永遠に忘れないであろう強烈に印象的な出会いの記憶がある。 その瞬間のひとコマひとコマをいまだにハッキリと思い出すことができるのは、この邂逅が純粋に偶然の産物だったからであろう。
ここに綴るのは、ある奇妙なゲストとの物語である。
〜遥か地球の裏側まで〜
僕は群馬県南東部で生を受けた。 戦前から工業で栄えた故郷は、国内有数のブラジリアンタウンだった。
クラスメイトや先輩後輩にブラジル生まれの子たちがいる幼少期を送っていたからだろうか、日本から一番遠いはずのラテンアメリカにも、不思議と親近感を持っていた。
「いつかアマゾンで釣りをしてみたいなぁ」とバスロッドを片手にママチャリで野池を巡る少年は、心のどこかでそんな事を思っていた。あの頃から、こんな瞬間を願っていた。
そして月日が流れた2013年2月。まだ見ぬ魚たちとの出会いを求めて、僕は日本を発った。
到着まで約30時間、目的地は南米ブラジル…ではなく、ベネズエラだった。 エンジェルフォールのあるあの国ね。
赤道を境にして北と南では雨季と乾季は逆になる。 『北半球に絞った方が釣り易いのでは?』という先輩の勧めもあり、ステージを北アマゾン・オリノコ水系としたのだ。 ベネズエラの首都カラカス郊外にあるシモンボリーバル国際空港。 ラテンアメリカ独立の父、シモン・ボリーバルの名前を冠したこの国最大の空港である。
「いよいよ旅のスタートだ!!」 と武者震いする僕を「挨拶代わり」と云わんばかりのアクシデントが歓迎してくれた。 預け荷物のロッドケース(塩ビ管)が見事に割れていたのだ。
中身は無事だったが、この後の旅の行く末を暗示しているようで気味が悪かった。
深夜着の便を利用した為、外は流しのタクシーの数もまばらだ。偶然ロビーに居合わせた現地人の薦めもあり、その日は空港で夜を明かす事にした。
数日後、起点となるバスターミナルからの目的地までのルートをある程度把握した僕は、目的地で使う現地貨幣を調達しに市街地へと足を運んだ。
ここで、恐れていた事が起こった。
こんな何の変哲も無い通りで事件は起こった。
ベネズエラでは、多くの旅人がそうするようにブラックマーケットでの両替が基本となる。 何せここは反米国家。国が主導で外貨(特に米ドル)の流入規制を行っており、公式レートと闇レートでは雲泥の差がある(2013年当時、開きは約3〜4倍。その翌年は100倍になったと聞いたので、これでも可愛く思えてしまう…)。
信用できる英語を解するおっさんに希望のレートで一気に両替してもらい、宿に向かっていたところだった。 右前から強烈な視線を感じた。階段に座る3人の大男。
人気の多い通りだったので、「白昼堂々とは聞くけど…。さすがに気のせいなんじゃ?」と思って彼らの前を通り過ぎた。そして一つ先のブロックを曲がった瞬間、彼らの足音が早まった。
「まさか?!」と思い振り向くと、彼らの手には鋭く尖る刃物が鈍く光っていた。 反射的に、足が勝手に走り始めた気がする。
必死で走って宿に向かい、全力でインターホンを連打した。 扉が開いた瞬間、僕は頭から全身を滑り込ませた。鉄格子の窓から路地を見る。
何とかマケたようだ…。 安心も束の間、怒りが湧いてきた。
「親父!!今朝、『ここら辺は安全だから大丈夫だよ〜。』って言ってたじゃないか!?」
怒りに身を任せ、宿の管理人に怒鳴りつけたがポカ〜ンとしている。 次の瞬間、彼の言葉に愕然とした。
「安全?うん、安全だ。だからお前は撃たれていない、そして、生きているじゃないか(笑)」
何も返す言葉が見つからなかった。
〜ポツポツ魚は釣れ始め…〜
完全に出鼻を挫かれた僕は、一切のテンションが上がらず、僅か日本円で30円のビールを飲み続け、ほぼ沈没状態だった。
「俺、何しに来たんだっけ?」
俺は魚を釣りに来たんだ!
SNSを開くとそこには、『卒業旅行』と称してピサの斜塔と映る笑顔の友人の写真が投稿されていた…。
「こうはしてはいられない!!」と自分に喝を入れ、動き始めた。 やはり、人間前向きになると運を引きつけるのだろうか? 偶然知り合った親切な人々の協力、そして日本での先輩・友人のアドバイスのおかげもあって、少年時代から憧れていた魚たちは幸運にも釣れてくれた。
パヤーラ(ペーシュ・カショーロ)をはじめ、夢に見た魚たちと出会うことができた。
だが、僕にはこの旅でどうしても会いたかった奴がいた。タライロンという大型カラシンだ。
「あんまり数がいないから、難しいよ。」 とは現地で知り合った釣り人談。 難しいとは分かっても、動いてみない事には何も始まらない。
他の魚を探している時に立ち寄った町で、何気なく現地人に話かけてみた。
〜えっ!?あなた(貴亀)誰ですか?〜
「おっちゃん、アイマラ(タライロン)って知ってる?」と訊く僕に、 「もちろん!ここらへんには沢山いる。そこまで連れて行ってやるよ」とおっちゃんが答える。
丸太をくりぬいたような簡素なボート。これにエンジンを載せて向かった先は…。
よっしゃ、ラッキー!! 期待で踊る気持ちを抑え、ボートに乗せてもらって向かった先は、ラグーナでも何でもない、干上がりかけたただの水溜まりだった。
「えっ。おっちゃん?ここですか?」
僕が何を問いただしても、案内をしてくれた親父は「いる。」の一点張り。 ただ、僕も下手なりに釣りを長く続けてきた人間である。 僕はしたくもない断言をした。
「ここに魚がいるわけがない!!」
その後、釣りをする気が起きず、ただ遠方をぼ〜っと眺めていた。その脇で親父は悪びれもせず野焼きを始めている。
「オヤジ、ただ単に野焼きがしたくてここに来たんじゃないか?!」 と僕が考えるのは至極当然のことだった。
とはいえ、暇をしていても仕方ない。長いボート移動でコリ固まった身体を伸ばすために、ルアーを投げる事にした。
何の進展もないこの状況に若干の苛立ちを感じていた僕は、手元にあったひときわ大きなルアーを糸先に括りつけ、鬱憤を晴らすように遠くへ投げた。
…ルアーをまともに泳がせるのも難しいほど水深が浅い。
「これを巻き終えたら、オヤジに移動を促そう。」 と思っていた時だった。
「ドンっ!!」
と、明らかな生命感がロッドに伝わった。 反射的に合わせを入れたが、全く動かない。
「なんだ、根がかりだったのか…。」と落胆し、一瞬でも期待した自分を恥ずかしく思いつつ、引っかかったルアーを外しにかかる。
しかし糸を緩めた瞬間、違和感を覚えた。たるんだ糸が少しずつ左に動いて行くのである。
試しにもう一度糸を張ってみた。やはりゴミを引っかけたような重みしかない。 また緩めてみる。先ほどと同様に左にゆっくりとしたスピードで何かが動いている…。
魚で無い事は確かだが、とはいえ明らかにゴミでもない。生物だ。
首をかしげながらリールを巻きつづけ、ついに対象物が水面に浮いてきた。
「え。」
姿を現わしたのは魚ではなく…なんと亀だった。 しかし、日本で僕らが眼にするそれとは全く異なる姿をしている。
その甲羅は分厚く、岩山のように大きく隆起している。手足には鋭いカギ爪を備えており、落ち葉を纏ったようなヒダに覆われたその顔は、一見グロテスクだがユーモラスでキュートだ。
「この亀、一体なんなの?」
ちょうど野焼きをキリ上げてきた親父が近づいてきたので質問してみた。
「MATAMATA」
「またまた?…え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!? あの!?あのマタマタ!? 」
図鑑でしか見た事のなかった亀が今、目の前にいる。
余りにも急な出会いにビックリしたが、ルアーの針を外そうとして抱き上げた瞬間、さらに驚愕した。
たまたま引っかかっただけだと思っていたのだが、なんとルアーの針は口に刺さっていたのである!!
これはルアーを餌だと思って食いついてきた証拠だ。
そもそも、マタマタはその重い身体ゆえに、高速で泳ぎまわって餌となる魚を捕食することができない。
川の底でじっと獲物を待ち伏せし、眼の前を通過する小魚を飲みこむのだ。 岩のような甲羅と落ち葉が堆積したように見える四肢は擬態のためにある。
つまり、僕がルアーを引いてきたコースにたまたまマタマタの口先があり、小魚だと思ってパクりといってしまったわけである。
〜○○太郎現象〜
暫くして、僕は彼を川にそっと放した。 彼の平穏な時間を乱してしまったことを少し反省しながら。
ゆっくりゆっくり、彼は底へ泳いで行き、やがて見えなくなった。 こんな偶然は二度と起きないと思う。
「釣りの女神は微笑んではいないけど、気は使ってくれているのかな?」
そう思うと少し笑えてきた。
お目当ての魚が釣れなかったこと(というか、オヤジの野焼きに付き合わされたこと)は残念だったが、それでも都市に戻るまでのタクシーが切る風はとても爽やかで気持ちよかった。
旅もそろそろ終わりが近づいてくると少しセンチな気持になるのは誰もがそうなのではないだろうか?
しかし、町に戻って唖然とする。 「チャべス大統領 急逝」のニュース。
ベネズエラは当時独裁政権国家。 町のどこに行っても「チャべスチャべスにまたチャべス」という状態だった。
そんな国のトップが突然の逝去。戻ってきた町は泣く人、追悼の意ということで銃を打ち上げ花火のように乱射する人で溢れ、デモが起こり保守派とリベラル派が激突。
空港封鎖も時間の問題か…。 亀と出会って、色々あって、町に戻ってきたら国が激変していた。
「あぁ、そんなような日本昔話をどこかで聞いたことあるな …。」
そう思いながら急いで空港に向かい、僕の南米旅は幕を閉じたのだった。