インド 「悪魔の鯰」グーンシュ釣行記
インド 「悪魔の鯰」グーンシュ釣行記
本命にもてあそばれ逃げられる…。神の魚・マシールを求めてのインド遠征は期待を裏切らない結果に終わった。あの時、悔しさを忘れる前にと飛び込んだ先は、インドの床屋だった。
『見よ!これが世界で一番痛い髪型だ!!!!!!』己に与えた罰である。
気づいた時には、町中のインド人が私を取り囲み笑っていた…。
さて今回こそは、この前代未聞の荒行を逃れることができるのだろうか?
私、塾長の「悪魔の人喰い鯰」グーンシュに挑む釣行記の幕開けである。
ここは混沌と喧騒の街デリー、私の旅はここから始まるのである。
前回のマシール釣行と同じように、巨漢ドライバーのシャルマーが、私を空港まで迎えに来る予定であった。
が、しかし、この街は渋滞が蔓延化し、約束の時間に来ることなど期待できるわけもなく、何処かに向かうわけでもないインド人に紛れ、空港入口にて彼の到着を待つこととなる。
シャルマーを愛おしく思えるほどの時が経過したころ、ふてぶてしくも見える巨漢シャルマーが、可愛げな笑顔で到着する。彼の自慢の車で、旅のコーディネーターであるグラブの家を目指す。グラブの自宅はここから5㎞の場所に位置し、通常なら15分程で到着するはずだが、“通常”という言葉はこの国では通用しない。その距離でさえ1時間ほどの旅となるのである。
インドの地を踏んで約3時間、やっとの思いでグラブと合流。次の目的地である、インド北西部のコルベットに向け、長い旅のスタートをきることができた。
旅が本格的に始まる前に、今回お世話になることになったパートナーを紹介したい。
100㎏の体重をゆうに超える巨漢のシャルマー。明るく、人懐っこい性格。
愉快かつ繊細な男、クラブ。太陽が空から照り付けるころ、冗談を言ってはみんなを笑わせ、一面に星空が広がるころ、星の話や世界情勢についてスコッチ片手に静かに話す。スコッチと人をこよなく愛する魅力的な男だ。
8時間ほど車を走らせ到着した先は、コルベットの小さなモーテル。そこで5時間ほどの仮眠をとることになった。
安心できないこの空間、いっそのこと壁が無い方がよいのではないか?外の方が安全なのではないか?そんな事を考えながらようやく眠りに付いたころ、出発の時間を迎えることとなった。
ここから2時間、断崖絶壁の山道を車で走り抜け、民家に到着した。ここで全ての荷物を車から降ろし、シャルマーの愛車としばしの別れとなった。
当初の話では白馬に乗って山道を下りるという”白馬のヨウジ”物語とは幾分違うかたちで、サリーを着た3人の女性が荷物を頭に載せ、2時間の険しい山道を、己の足で下る他なかった。
山道は想像を超えるほど急で、荷物を持たない我々でさえ杖を必要とし、四苦八苦しながら歩みを進めるという状況である。特に巨漢シャルマーは10分に1回は休憩をとらねば前に進めないという、亀にも劣る歩みであった。それに引き換え女性達は、頭に荷物を載せ、いとも簡単に山道を下っていく健脚ぶりを発揮した。やはり女性は凄まじい強さを兼ね備えた生き物である。
そして、これから5日間の戦いが繰り広げられるであろう淵が遂に現れた。
この高揚は今でも忘れない。
その淵は想像していたより遥かに小さいもので、とても悪魔の人喰い鯰と恐れられるグーンシュが無数にいるとは考え難いものがあった。
これからの5日間の拠点となるテントを張り終え、それぞれのテントに荷物を入れようとした瞬間、後ろからグラブが信じられない言葉をかけた。
『お前が来る前に3人のアングラーがヨーロッパから来た。その3人はそれぞれ3本の竿で合計9本もこの淵にエサを投げ込んだが、10日間全くあたりはなかった。つまり、ノーバイトだ。解るか?』
もちろん、事前にメールのやり取りを行い5日間の実釣行を知らせており、彼もその日程で充分だろうと確認をとっていただけに、その言葉には愕然とした。さらに彼は続けた。
『そのアングラーたちは世界を股にかけるかなり実績を積んだ者たちだ。お前は今回の釣行で鈴の音を聞くことさえ難しいぞ!!』
彼は、私がブッコミ釣りをする時には、竿先に鈴をつけることを前回のマシール釣行で知っており、私が鈴の音に過敏に反応するのを見逃さなかった。それを知った彼は、私のタックルボックスから拝借した鈴を意味もなく鳴らし、私の驚く反応を楽しむという悪趣味な遊びをすっかり身に着けていた。そんな鈴の音に興奮する私に向かって、彼は容赦無く『鈴は鳴らない!』と言い放ったのであった。
そのグラブの言葉に打ちのめされてしまった私は、大慌てで荷物をテントに投げ込み、早速、釣り竿の準備を始めた。
先ずは、エサの確保からだ。
エサは先ずルアーにて釣りあげ、それを丸ごと一本淵に投げ込むということであった。
スプーンを数回キャスト後、30cm程のマシールを3匹確保し、神の魚と言われしマシールを、躊躇なく背掛けにして淵に投げ込んだ。竿は3本体制である。
その後、グラブの鳴らす鈴の音に何度も脅かされたが、実際の竿先が動くことは全くなかった。夕暮れが訪れそして夜になり、グラブはいつものようにスコッチを飲みだした。
『陽二!お前は釣りをする際、非常に獲物を求めすぎる。あまり欲深く求めると中々叶わないものだ。もっとゆっくり構えたほうが良い。』
などと、軽い説教が始まった段階で、私は嫌気がさしテントに潜り込んだ。昼の40度近い気温が嘘のように、夜になるとヒマラヤからの山風が吹き、恐ろしいほどに気温が下がる。長袖長ズボンで寝袋に潜り込んでいても、寒さに凍えながら眠ることになった。
さすがに彼らも悪戯で鈴を鳴らすことはなく、比較的静かな夜が過ぎていった…。
夜更けにテントの周りを動き回る動物の足音に起こされた以外は…。
翌朝確認したことだが、この淵の周辺は、豹、ジャッカル、象、ヤマアラシ、野兎、等の動物たちの水飲み場になっているらしい。あの夜の足音が豹でないことを祈るばかりである。
そして、朝を迎えた。テントから出てみると一面霧で覆われている。目の前の動かない3本の竿以外は、殆ど何も見えない朝であった。
朝5時にも関わらず、料理人のアミナスは起きており、私の為に熱いコーヒーを入れてくれた。この神秘的な霧の中で、ゆっくりと朝日が昇るのを眺めながらいただく熱いコーヒーは、格別なものである。日常とかけ離れた贅沢を満喫しながら、皆が起きるのを待った。
2時間ほど経過したころ、次々とガイド達が目を覚まし、恒例のカレーの時間となった。
気付けば、インドに来てからの全ての食事がカレーであった。また、キャンプに入った昨日からは、冷蔵庫がない為肉の保存ができず、野菜カレーのみという何ともカレー好きには贅沢な環境が整っていたのである。まぁ、気にすることはない『三度の飯よりわしは釣りが好きじゃ!!』と呟いてみた。
2日目の朝からはガイド達はポーカーを楽しみ、私とネパール人の少年(今回の旅の手伝い)は、竿の見張りとカエル探しで時間をつぶした。
実は私は魚だけではなく両生類にも大変興味があり、此処1年程は、狂ったように両生類探しにも明け暮れる日々を過ごしていた。
ここインド北部においても、2種のカエルを発見するに至り、1種は日本で言うところのヌマガエルの亜種と思われるよう蛙で、図鑑上はインドに生息が確認されていないものであった。
もう一種は、見たことのないカエルで、後ろ脚の水かきが発達しており砂に潜って逃げ足の速いカエルであった。このようなカエル探しも水辺の生物に出会うという趣旨の旅からはそう外れてはおらず、楽しみの一つである。
その日は、カエル探しと淵の上流の瀬でのルアーフィッシングに明け暮れ夕方を迎えた。
相変わらず、野菜カレーが夕食に並び、全員で食卓を囲んだ。
昨晩は比較的静かな夜であったが、初日の高揚と緊張、そして動物の足音でなかなか寝付けなかったのだが、この日は21時頃には寝袋に入りぐっすりと眠りに落ちた。
そして、その時は突然訪れた。鈴が激しくなったのである。
眠気の中で『グラブの奴!ついに深夜まで鈴で悪戯するようになったか?』と疑ったが、眠気眼で時計を見ると深夜3時半であった。鈴は更に激しさを増し、けたたましくなり続ける。
私は、寝袋から這い出し、テントから飛び出した。
そこには信じられない程曲がった竿と、今にも崩れそうな竿を支えている岩があった。
私は、すぐさま竿にしがみつきあわせを入れた。
僅か50m四方の小さな淵での真の戦いの始まりである。
竿に伝わる重みと走り出した時のパワー、やり取りをしているだけで、かなりの大物の魚
だという事はわかった。その大魚は、時折狂ったように走り、そして、何事もなかったかのようにパタリと止まり川底にへばり付く。
糸を巻き取れるのは川底から離れた一瞬であるが、その一瞬も待たずして大魚が走り出す。懸命に巻いた糸も、一瞬で放出されてしまうのだ。ただ其の繰り返しである。
気付けば辺りはうっすらと明るくなり、時計の針は5時半を指していた。
この間、寒さを全く感じず、時間の長さも感じず、唯々この単調なそして激しい魚とのやり取りを続けていたのだ。
更に2時間ほど、このやり取りを続けたころ、ついにその時はきた。
朝焼けに包まれて始まり出す神秘的な時間に、深く澄み切った淵から大きなそいつは現れた。
そしてこの瞬間、大魚はグーンシュという巨大鯰に姿を変えた。
仲間たちが一斉に、歓喜の雄叫びを上げた。
グラブが叫んだ『陽二!お前の鈴は最高の音を奏でた!!』
興奮がしばらく収まらず、私は喜びに震えていた。
『でかい。』 一言呟いた。
グラブも暫く歓喜の舞を楽しみ、私のそばにやってきてグーンシュを眺めた。
実際、ウエイトの計測は行わなかったが、長さは180cm、推定65㎏であった。
ガイド達は『ワールドレコードにも匹敵するのでは!』と大騒ぎであったが、
私にとって、そんなことはどうでも良かった。このとてつもなく大きなグーンシュと戦い、彼をこの胸に抱けた幸運に感謝している。
その後、感謝と共に彼を淵に離した。静かに、そして堂々と深みに帰って行った。やっぱり彼の姿は、驚くほどかっこいい。
本命を手にしたその日、
ネパールの少年が、往復4時間かけて山を駆け上り、一羽の鶏を抱きかかえて帰って来た。
彼を迎えた者たちからは、満面の笑みがこぼれた。
さぁ、今宵はチキンカレーで勝利の宴といきましょう。
仲間で勝ち取った、勝利の味に酔いしれた。
そして、その日の午後からも、3本の竿を投入していた。しかし、残り3日間、この鈴は一度も鳴ることはなかった。
6日目の朝、我々は荷物をまとめ淵を後にした。
帰りの山道、巨漢のシャルマーが、如何に悶絶しながらの登山を強いられたかは想像を絶する程である。
彼に合わせて山を登った我々は、5時間の登山を経験する羽目になる。
そして、我々の後ろには静かにヒマラヤ山脈がそびえ立っていた。
ありがとう。ダンニャワード!!!